第321話 乃木坂46に見る、恐ろしくも残酷な数字
今回は何となく見てしまった、闇の話。
乃木坂46の「好きというのはロックだぜ」の収録曲で、三期生曲、四期生曲、五期生曲、アンダー曲、と、表題の「好きというのはロックだぜ」の五曲がMVが制作されて、YouTubeで公開されてます。
僕は表題曲も好きですが、やっぱり四期生曲が好きかなぁ、と思いながら、五期生も良いなぁ、と思っています。五期生ちゃんは、まだあまり知らないのですが、井上和さんが推しになるかも。まぁ、なんだかんだで四期生の弓木奈於さんがイチオシですが。
さて、これは非常に歪んだ見方なのですが、MVの再生回数を比較すると、ものすごく残酷なことになる。同じグループの中の楽曲なのに、差がありすぎる。どうしてそんな事態が生じるかは分からないけど、難しい問題で、これは実は制作側はありとあらゆる場面でぶつかる困難なんじゃないか。例えばCDの販売枚数やテレビの視聴率、ライブのグッズの売り上げとか、実は全てが数字に置き換えられて、さまざまな見方で比較されているのかも。これは作ってる側はいくらでも非情になれるかもしれないけれど、偉い大人とファンの間に挟まれる演者はすごく苦しいだろうなぁ。
カクヨムなどの星の数やいいねの数、PV数も近いかもしれないけど、少なくとも僕は他人の作品と数を比較しない。自分の書いたもの同士の比較はするけど、これは自分と自分を比べているわけで、それほど悲しくもないし、それほどつらくもない。物凄く大きな数字が出現するとまた違うのかもしれませんが。
話を戻して、僕は三期生曲の「僕が手を叩く方へ」は歌詞が好きですが、楽曲でしてはやはり地味で、その辺りに表現の難しさを感じた。歌詞が良い、と思った人は大勢いるはずだけど、僕が感じた曲の地味さをより強く意識した人は、繰り返し再生しないわけで、音楽は歌詞と曲、声など、無数の要素で出来上がるがために、強いひとつの要素だけでは足りない場面が出来するらしい。でも、「僕が手を叩く方へ」は良いんですよ。途中、曲が手拍子だけになるところが凄い。もっと評価されるべき、という感じですね。
評価されるものだけが正しい、というのは違うような気がするけど、時間が有限だということが惑わせてくる。自分がいいと思うものならそれでいい、という考えもあるものの、僕は最近はどうも、優れたものに出来るだけ触れたいと思っている。優れた、というのは表現を変えれば、選ばれた、ということになるかもしれません。
僕が選ぶには、この世界にはコンテンツが多すぎる。
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