第317話 直感や本能をおかしくさせる「サービス」
今回は個人的にはかなり悩ましい内容の話。
僕は子どもが好きではないし、老人にもあまり好意的ではない。日常では最低限の接点だけでいい、というか、同じ目線に立つのが面倒臭い、というか。
さて、つい最近、老人ホームで老人を殺害して逃げた人が指名手配になった末に捕まりましたが、報道で「悪口を言われたから」みたいな犯行理由が流れているのを見て、僕としては色々と考えた。
さて、これはおそらく人間の本能ですが、弱者を守るべき、という発想がまずあると思われる。子どもや老人を大事にすることの一部は、ここにあるのでは。もちろん、親を大事にするとか、子供を守る、という部分もありますが。
では、状況を作っていきますが、例えば老人ホームに入った老人が、介護士の人に横暴な振る舞いをし始めたら、どうなるだろう。老人ホームを追い出されて、他の施設を転々として、最終的に受け入れるところがなくなる、ということが起こり得るか。幼児が保育園で保育士に対して度を越した行動を取った時、保育園の方から「別の園に移ってもらえますか」と言えるだろうか。保育園を転々として、最終的には行き場がない、なんてことがあるか?
結局、老人の面倒を見ることも、幼児の面倒を見ることも、善意や好意から行われているのではなく、「サービス」になってしまった。サービスだから、逆転現象で、老人の態度や幼児の態度で、許せないライン、耐えられないラインが生じてしまう。何があっても耐えられる、という人がこのサービス業につくしかないんだけど、僕の感覚では、自分とはなんの関係もない人間に好き放題やられたとして、耐え続けられるかは分からない。ものすごい高給を与えられても、自分の尊厳と引き換えにできるかとなると、難しいのでは。
これは同時に別の問題もあって、老人ホームや幼稚園などは、立場が非常に難しい。先に書いた通り、老人を老人ホームが放り出すのは、仕事の放棄のように映る。幼稚園が子どもを投げ出すのも、やはり不自然。でも、面倒の見れない人間をただ受け入れて、破滅が起こるのも何か違う。利用者とその家族と、施設の間にある関係性は何だろう? 例えば老人を施設に入れて、施設内で問題が起これば、それは施設の問題かもしれないけど、施設に入れた家族は第三者になるのか。あるいは被害者の一人なのか。施設に入れると決めたのは誰か。その施設を選んだのは誰か。その施設のことを理解していたのか。他にも様々な疑問がありそうなものだけど、悪いのは殺人者だけ、という形の世論になるのは、なかなか厳しい。今この時も、苦痛を伴う仕事をしている人がいるのでは。見えないところ、光の当たらないところで。
この、責任の所在が曖昧な場所にいる、弱い人たち、にはもう少し議論が必要な気がする。本来的には立場に上下なんてなくて、みんな平等なはずだけど、「サービス」にしてしまった時に、それが生じてしまったのでは、と僕は勝手に考えている。かなりまとまりを欠いてしまいましたが。とにかく、考えさせられた。
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