第313話 報道の狂気

 今回は怖すぎて背筋が凍った話。

 たまたまニュースを見ていると、「ミルクボランティア」という活動を紹介していた。これが保健所に保護された子猫に、ミルクを与えたり、離乳食を与えたり、排泄を手伝ったりして、食事と排泄が自力でできるところまで面倒を見て、引き取り手に猫を引き渡す、橋渡しみたいなことをするボランティアらしい。このボランティアをしている家族にカメラが入って、十四歳の男の子がインタビューに答えていた。

 さて、ここまでなら良いのですが、報道なので「ミルクボランティアの活動で殺処分される猫が減りました」と添えるわけですが、これが全てを怖くさせる。

 十四歳の男の子が嬉しそうに話しているけど、この男の子は殺処分される猫の存在をどう解釈していたんだろう。例えば、自分が世話をした猫が殺されてしまうことを理解して、それでも、あのカメラへの対応だったのか。

 僕だったら、自分が世話をした猫が死んでしまうのは、なかなか耐えられない。ボランティアをすることで殺処分される猫を減らせるとしても、自分が可愛がった猫が殺処分されるのは、受け入れ難い。

 たまたま虚淵玄さんの小説「Fate/zero」を拾い読みしてるんですが、衛宮切嗣が聖杯と問答する場面が、このミルクボランティア、子猫と人間の関係に接続された。二匹の猫を生かすために一匹の猫を殺せるか、というような問いかけは、答えが出せない。この理論は非情をどこまで受け入れるか、という問いかけで、少ない犠牲を選ぶか、大きな犠牲を選べるかは、場面や決断する人、様々な要素によって変わる。

 しかし、あのニュースの狂気には恐れ入った。少年はあれが本意だったのだろうか。そして僕としては、少年が何を思っているかが、一番気になった。殺処分される猫がなくなることが素晴らしいのはわかる。僕もそうしたい。しかし、殺処分を減らすために行動しながら殺処分がなくならない状態があるわけで、その渦中で実際に活動している少年は、どういう心理状態なのか。もっと突っ込めば、仮に少年が面倒を見た猫が殺処分された時、どんな気持ちになるのだろう。少年ではなくても、ボランティアをしている人は、自分が世話をした猫が殺されてしまったら、虚しさ、悲しみを感じるはずで、取材するならここを描かないと、かなりズレるように思う。そのズレが、少年のインタビューの様子と補足の間に、狂気じみたものを生み出しているように思った。

 僕は自分が世話をした猫が殺されてしまうのは耐え難い。仮に一頭の犠牲で二頭が助かっても、一頭を犠牲に捧げることは出来ない。これは間違ってるかもしれないけど、僕はそういう価値観です、となります。

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