第293話 裏を読むか、正面からぶつかるか

 今回は、姿勢みたいなものを推測してみる話。

 これは実際のことですが、僕の母は、行動制限がされていないから気兼ねなく出かけていて、他にも、重症化しないから、とか、感染者は十代が多いから、とか、そういう発言をする。

 これが、正論をぶつけていくと、行動制限されなくても自制する必要はあるし、重症化しなくても医療体制に影響はあるし、十代以外が感染しないわけではない、と、一つひとつ潰していくことができる。

 これをすると、それじゃあ何もできない、というような主張が出てきて、何もできないんだよ、そういう時期だよ、というのがしかし通じない。

 これは僕も他の場面でも体験があるけど、何かを訴えた時、ポイントをずらして返答して、それを繰り返すうちに本題ではない、正面ではないところに議論を持っていく人がいる。意図的なのか、本能的なものなのかは知らないけど、そういう、正面を回避する論法、姿勢は明らかに存在して、つまり「論点をすり替える」、「焦点を変える」ということです。

 これが、言葉やメッセージを理解できていないわけではなく、おそらく「危険」だと理解はしていると思う。自分が攻撃される、という予測が働いているので。その上で、逃げを打つ、回避しようとして、論点をずらす。

 これが不思議なのが、本筋、核心からはどんどん離れるのに、理屈として成立してしまうこと。新型コロナでも、政府の対応が、最初は自粛期間を設けて、次には緊急事態宣言をして、次には蔓延防止等重点措置を用意して、と、どんどん緩い方向へ進んでいて、これを見ていると、新型コロナの感染拡大を防ぐ、という核心からは離れているように見える。もちろん、政治家は離れようとはしていなくて、今でも真剣に対策を考えていると思われる。ただ国民からすれば、自粛期間のような厳しい行動制限はもう必要ないように見える。なので、行動制限がないから、という理屈が成立するように思われる。

 僕が嫌いな言葉に「自業自得」と「正直者はバカを見る」があるけど、正論が時に変な目で見られるのは何故だろう? 取っ組み合いみたいに意見を向け合えれば、何かが見える気がする。少なくとも、自業自得という言葉で、目の前にいる人間を無責任に放り出したくないし、正直な意見を言う人間ではいたい。ただ、僕自身が正しいかは、誰にも分からないんだよなぁ。無責任が正しいこともあるのかもしれない。

 自分が落ち着く理屈は「納得」した理屈で、「納得」している以上、変えるのは難しい。本当に必要なのは、「納得」せずに、常に疑念を持ち続けることだろうか? それはそれで、生きづらいな……。

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