第290話 霊能力の不思議
霊能力と現代社会の繋がりの適当思考が今回のお話。
例えば現代社会において、霊のようなものの存在が確実になるとどうなるだろう。まず、その霊なるものが、八百万の神的なものなのか、過去にいた人間の霊なのかで、なかなか興味深い。
八百万の神が確実に存在するとすると、宗教にとっては都合が良いのでは。人間とは違う立場の存在、おそらく人間と同等かより優れた知性があれば、御神体としては悪くない。ただ、その神に近い霊が人間に親しみを持つのかはわからない。人間が犬や猫、虫に対するような態度を、霊が人間に対して取るのかもしれない。取らないとしたら、逆に人間は相手にされなさそう。
さて、過去に生きた人間の霊なるものをどうこうできるとなると、興味深いことが起こる。それは「生命」の概念が変わるかもしれない、という空想。死んでしまっても霊として残り、何かしらを介して行動可能とすると、死とはただ肉体の消滅というだけになる。こうなると、仮にイタコみたいな人が霊を自身に乗り移らせることになり、イタコは非常に多忙になるし、もはや本来的な人格は無視して、何らかの人物の霊の乗り物になりそう。というか、ここまで書いて思ったけど、「シャーマンキング」って感じですね、どうも。
ここまで適当にイメージしてきましたが、第一段階のハードルをわざと無視しました。そのハードルは、「霊をいかにして確認するか」です。
一番簡単なのは、見える、ということです。選ばれた人だけが見える、とするのが創作ではよくある。しかしこれはどうも、うまくやらないと見える人は周りから見ると危ない人になってしまう。その辺りがコメディでは逆に使えるのかな。聞こえる、も似たような展開でしょうか。
ものすごく強い形は「霊に触れられる」ですが、これはもはや霊ではないですね。ですが、見えるけど触れられない存在、とはどんな存在だろうか。光の反射みたいなものなのか? 触れられないけど聞こえる、も、聞こえるのは空気の振動ではなく、思念なんだろうか。しかし思念とは謎だし、もし思念で交信する技術があるなら、生きている人間同士でも思念で交信できる可能性がありそうで、なるほど、霊を見たり、霊の声を聞く人は超能力者ということか。
最後に悪ふざけしますが、もし死んだ人間の霊を呼び戻せるなら、「宗教」も変わるだろうけど、一番変わるのは「歴史」の概念です。当事者に直接、話を聞けるわけですから、歴史の謎はおおよそ解消される。「宗教」が変わるのは、例えば、望む人はキリスト本人の弟子になれる、というような感じです。
僕が霊を信じていないので、信じている人には不愉快かもしれません。失礼しました。
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