第281話 本当に醜い自分

 今回は醜い自分の話、「嫉妬」のことです。

 現実での知り合い、と言っても今はほとんど無関係になっているのですが、たまたま、その人が書いたものが書籍化されると聞きまして、うーん、という感じ。

 まさにこの「うーん」が、僕の醜さの象徴なんですよね。素直に喜べない、祝福できないのが。

 これが要は「嫉妬」だろうとは思うのですが、しかし、実際にその人の書いたものを読んでもピンと来ないので、その辺りが関係しているのか、それとも実際に対面したことのある相手だから処理できないのか、よく分からない。

 僕の知り合いでプロになった人は二人目で、一人の方はその後、何冊か、大手のレーベルから文庫本を出してましたが、さて、今は何をしているのだろう。その人がプロになった時も、もしかしたら僕は「うーん」だったかも、と思ったけど、ちょっと違ったか。その方が出した本をまず買った。そして読んだ。それから「うーん」となってしまった記憶がある。

 これは間違いなく「嫉妬」が大きな要素で存在するのですが、もしかして僕は、僕が好きな作家こそが「作家」だと思っているのかも。つまり、「作家」という言葉は全てのプロの書き手が名乗るものだけど、僕の中では「作家未満」みたいな評価をしている対象がある、ということではなかろうか。それは、文学賞を取っているかという客観的な評価ではなくて(文学賞が客観的かは謎だけど)、僕が好きと思ったものを書いた、もっと深掘りすると、僕が興味を惹かれて、実際に読んで、満足した作品の作者こそが僕の中での「作家」なのかもしれない。読んで満足しなかった本はないんだけれど、この辺りも評価に繋がるのかも。

 今回の知り合いの方の作品は僕の興味の範囲外にあるので、おそらく買うことはないのですが、正直なところ、羨ましくはある。あるけど、僕とは何もかもが違うので、何を羨ましいと思っているかは自分でもよくわからない。かろうじて分かるのは、僕も本を出したい、という部分だけかも。その方の作品を評価する人が、僕の書いたものを評価することは天地がひっくり返ってもないので、その辺りにも複雑なものがある。僕の力不足を痛感する。

 何はともあれ、醜い嫉妬で祝えない自分はなんと、まぁ、小さなこと。少しだけ、もう書くのはやめて読むのに専念しようかな、と思ってしまった自分の弱さも、なんとも悲しい。早く人間になりたい、という気持ちです。

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