第276話 ある種の「狂気」を感じる項目
今回はふとした時に見た、首を傾げるような、ちょっと不安になるような話。
回覧板で老人の寄り合いの通知があって、適当に眺めたのですが、その中に「禁止事項」があった。そこに挙がっているのが「噂話」と「批判」です。これはよく考えてみると、怖い。怖いというか、どっちも明らかに場の空気を悪くするし、しないのが当たり前なのに、禁止事項として明記しないといけない、というあたりが怖い。
これが一応、現実世界の、老人の寄り合い、と限定されているけど、僕の祖母はとにかく徹底的に赤の他人を解剖して噂話として言いふらすし、批判なんてありとあらゆるものを対象にして日常茶飯事なんですが、それはもう、現実社会の揉め事が起こっても仕方ない、という諦めに行きつく。もし事が起こっても、僕は関係ない、という立場でいるしかない。
しかしどうも、こういう「自由を制限」せざるを得ないのが、限られた空間でのみ行われるかは、怪しい気がする。例えばネット空間における誹謗中傷は最近では特に取り締まられるようになった。ただ、なんというかネットにも浅いところと深いところがあって、今、話題になっていることは、明らかにネットの浅い部分での問題であって、昔でいうところの2ちゃんねるみたいな深部は、おそらく話題の対象ではない。
ネットの深いところというのは、つまり老人の家、みたいなものなんじゃなかろうか。同じような年寄りが適当に集まって、近所の人間のプライベートを擦って擦って擦り倒して、散々に泥を塗って投げ打って、それで何かを確認するような。難しいと思うのは、それが絶対に許されないとか、許してはいけない、ではなくて、老人が自分の家でやってるようなことを、公の集まりでしそうになる、もしくはした時に、その深いところにあったはずの、うーん、「汚いもの」が光の下に出てしまって、これがただの人格や生態、人間性以上の問題、表現の問題になる。世間では、問題になると、その問題の根っこがどこにあるのか、がおそらく確認される。老人のデタラメはどれだけ掘っても、お家での仲間内での無自覚な悪意でした、で済むかもしれない。いや、村八分にされるかもしれないけど。いやいや、老人を村八分にすると、老人の集団とそれ以外の抗争になるかもな。
ともかく、似た感じで、何かの拍子に、ネットの深部、暗部のやり方を、ネットの浅い方に適用する誰かがいると、なんらかの形で話題になり、世間の皆さんか、もしくは正義の味方か、警察みたいなのが勘づいて、悪意の根っこを探し始めるのでは。で、ネットでは実はこんな悪口雑言が密かに飛び交ってる、と判明してしまうと、そこでの「発言の自由」はさて、どうなるだろうか。
発言の自由って、どことなく「制御された言葉」であることが前提になっていて、事態が困難なのは、「制御された悪口雑言」が実在して、それが「無制御な悪口雑言」と区別できないことにあると思われる。これは区別不可能で、かろうじて可能なのは、その発言によって害を受けた人が「傷ついた」とすることで、制御されようとされていまいとにかかわらず、とにかく人を傷つけているから罪であり罰する、制限する、ということになるのでは。
実は老人の噂話や批判に関する但し書きでは、そんなに気にもならなかったのですが、たまたまネット上の、いい意味での三角コーナーみたいなサイトを見て、ちょっと思うところがあったので書いてみました。
昔の同志を批判するとは、それはまさしくスターリンだぞ(?)
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