第275話 アイドルの「物語」と「裏切り」

 今回は時間をかけて解釈しようとして、まだうまくできてない話。

 かなり前に書きましたが、虹のコンキスタドールというアイドルグループの、的場華鈴さんが卒業する、ということがありまして、四月に卒業しました。しましたが、六月で予科生として復帰してきて、僕はこれをどう捉えればいいか、よく分からない。

 なんて言えばいいか、僕としては虹のコンキスタドールは、的場さんと根本さんが卒業して、ここから新しい展開を見せる、見せてくれる、と思っていた。なんだけど、今の感じだといずれ的場華鈴さんは正規メンバーに戻り、グループとしても元に戻りそう。元に戻っても構わないけど、しかし、僕が期待したこと、見れると思っていたものは、結局、どこかに消えてしまったように思えて、気持ちのやり場がない。

 さて、少し前に鷲崎健さんという方がラジオで、的場華鈴さんの一件で「物語」という表現を使って気持ちを説明していて、なるほど、という感じだった。僕の中にある「虹のコンキスタドール」という「物語」は、どうやらうまく解釈できない「破綻」をきたしているらしい。もちろん、いくらでも都合よく解釈できるんですが、僕の中ではあまりにも「新しい虹のコンキスタドール」という願望が強すぎて、矛盾が解消できない。的場華鈴さんがいる世界線と、いない世界線が全く違うので、僕は世界線を跨ぎすぎて気が狂いそうになっていると言える。なんか、「シュタインズゲート」でそんなシーンがあったような。

 アイドルが、というか、実は全ての人が物語を生きていて、理解できる物語もあれば、理解できない物語もある。しかもその物語に良し悪しというか、点数をつける傾向にある。僕はほとんど知らないけど、この前、ラストアイドルというグループが解散したけど、そのアイドルグループの物語は、例えばAKB48ほど偉大ではないかもしれないけど、ラストアイドルという物語として存在すると思う。例えば、モーニング娘。は2000年辺りと比べると盛り上がりに欠けるかもしれないけど、物語として見れば、もしかしたら乃木坂46よりも面白いかもしれない。世の中には、ラストアイドルなんぞ知らん、モーニング娘。はもう終わった、という人もいるでしょうけど、それはその人の感覚であって、どこかの誰かは必ず物語を見出して、読み解いて、どこかに落ち着けている。もっと言えば、楽しんでる。

 僕が虹のコンキスタドールをうまく解釈できないのは、まだ物語を再構築出来ていないのかもしれないし、あるいは、卒業した人が間をおかずに戻ってくる、という展開は永遠に解釈不能かもしれない。いつか、ずっと時間が経てば、解釈不能さえも物語の一部になるかもしれないけど。

 ただ、これだけははっきりさせないといけないのは、僕は物語を読む側であって、途中で追うのを辞めてはいけない理由はないし、読み続ける義務もない。読むのを辞める自由は僕にある。あるんだけど、物語を作ってる側の勝手で幻滅して読めなくなるのは、やはりつらい。ここまで楽しく物語を読んできたわけで、それは時間とかお金とかの問題ではなく、うーん、あまり使いたくない言葉だけど、裏切られた、ということになる。

 ものを作る側が絶対にしてはいけないのが「裏切り」なのかも、とちょっと思った。けど僕も裏切ってるかもな……。

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