第268話 個人的な「きっかけ」
今回はカクヨムで文章を読む時の「きっかけ」から考える、僕のそもそもの「きっかけ」の話。
例えば自主企画で読んでみようとなると、僕はタグは少しも見ない。紹介文は少し見る。キャッチコピーも少し。では何を見ているかといえば、タイトルを見て面白そうなら読んでます。
これが僕の中ではカクヨムとかに限らず、小説で面白そうなものを探す時、タイトルから探っていくことが多い。例えば、「その女、アレックス」とか、「コールド・コールド・グラウンド」とか、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」とか、「アルマダ 」とか、「エンダーのゲーム」とか、「女王陛下のユリシーズ号」とか、「人魚とビスケット」とか、とにかくタイトル。どこかで話題にあがって、「このタイトルは面白そう」という感覚を頼りに読みに行く。
小説は特に、すぐに様子を把握できないので、物語に対する期待がないことには買う気にならない。音楽だったらワンコーラスを聞いてみたり、例えばアルバムの中の何曲かを聞いて気に入れば買うことになるけど、本はそうはいかない。最初の十ページを読んで引き摺り込まれることはあまりない。そこはまだ、作品世界も登場人物も見えない真っ暗闇から、やっと薄明かりが漂い始める段階だと思うので。
タイトルって、僕にとってはかくも大きな要素なんですが、いかんせん、僕はタイトルをつけるのが下手すぎる。何かできそうなんだけど、さて、どんな思考法を導入すれば良いんだろうか。ややこしい。
僕が好きなテレビ番組で、「フランケンシュタインの誘惑」、「ダークサイドミステリー」、「映像の世紀」があります。直球ですが、「映像の世紀」というシンプルなタイトルはすごく好きだ。「フランケンシュタインの誘惑」も捻りが効いている。
きっかけが全ての消費の第一段階だからこそ、僕たちはそのきっかけに知恵を絞りますが、カクヨムを見ていると、きっかけが安易な要素で成立している気がする。それがタグです。人が集まるタグをつける、ということで、しかしこれは何も悪くない。読む人も悪くない。でも、好奇心から発生する、新天地のような作品にはあまり繋がらないのでは。
みんながそれぞれの時間を生きているから、楽しいと思うものを読むのが正しい。でも世の中にはもっといろんなものがある。
それは、普段見ているもののすぐ横にある、短い言葉がきっかけになるかもしれませんね。
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