第256話 オリジナリティの陥穽のようなもの
今回は公募で一次落ちしてちょっと考えたこと。
僕が創作論(あるいは檄文)を適当に流し読みして、何とも言えない気持ちになる内容の最たるものが、言わば「使い古された手法」の否定で、まさに何とも言えない。
もう記憶が薄れるほど前ですが、「オリジナリティ」というものがすごく気になる時期があった。これがつまり「誰も使っていない要素」で小説を書きたい、という欲望だった。でも、読書経験も弱かったし、書いた経験も弱かった。ただ「オリジナル」があれば勝てる、という、いかにも虚しく、傲慢な態度だった。
僕が今回、爆死した話は、というか、ここのところ書いているもの全ては、極端なオリジナルは求めていない。というか、僕が接した小説で、全くのオリジナル、どの部分もどの作品とも重ならない、というものはない。それは例えば「機動戦士ガンダム」と「機動警察パトレイバー」と「ランブルフィッシュ 」が「ロボット」で重なったり、「ヘルシング」と「トリニティ・ブラッド」が「吸血鬼」で重なったり、「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」が「異世界」で重なったり、そういう本当に小さい部分で何かを共有して、その共有された要素に工夫をすることで、作品が構築されている、と僕は思っている。
爆死作品は、オンラインゲームを題材にしながら、人間関係を描ければ、と思っていたけど、オンラインゲームの要素は明らかにお粗末だった。作り込みが弱い。オンラインゲームというものそのものが、現時点のネット小説界隈では「使い古された」要素なのですが、僕が爆死したのは、まさにそこにある。ただそれは、使い古されていたからダメ、なのではなく、工夫が足りない、というだけのことだったと思う。
それとこれだけははっきりしているのは、おそらく二次より上に行くには、工夫だけではなくて、やはり何かしらの「オリジナル」が必要で、それはどちらかと言えば「未発見」よりも「個性」ではないかな、と思ってます。その選考の段階では、大抵の書き手には個性が存在するので、数値的、統計的に評価はできない、むしろ評価する人次第になると思われる。
ここが重要だと僕は思いますが、流行とかお約束というのは、そこに数字が集まっているだけで、その大きな数字の中では「独自性」も偏ってしまう。だから、この集団に焦点を当てて「オリジナリティがない」という指摘は、「カラスには黒いカラスしかいない」と指摘しているのに近い。そして「白いカラスを作れ」とか、「三本足のカラスを作れ」と促すのは、なるほど手法としてあるかもしれないけれど、もっと小さな、群れの中の一羽の烏の濡れ羽色の艶を工夫する、というだけでも何かが出来そうである。
僕は「群れているカラス」はみんな同じに見えても、その中から「奇妙な飛び方のカラス」を見つけたい、という具合です。決して「群れているカラス」を「解体」せずに。
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