第255話 傲慢と慢心

 今回は猛省の話。

 他サイトですが、ネット小説大賞の一次が発表されまして、落選でございます。

 結果がわかってから確信するのですが、自分でもどこかしっくりこないな、というものはやはり自然と落選する。

 前も書きましたが、僕は一時間でおおよそ五千字、集中して一日に二時間の時間を作って、それを十日続けて十万字、という謎な行動が取れる。その前に世界観やキャラクターを考えるので、三百六十五日、ぶっ続けで書くわけではないですが。

 しかしこの、一日一万字は、書き終わってから読み直した時、ほとんど書き換えられることがない。細かな表現の修正はあっても、部分的にごっそりボツにしたりはしない。さて、これは果たして正しいのか。

 僕が文章を作る時、頭の中にあるものをそのまま言葉に置き換えていて、書いているというか、フィルムを回しているような感じです。だから、フィルムを巻き戻して描き直す、というのは、前との整合性はともかく、後との整合性が合わないような、違和感があって書き直せない。

 なので、直しながら「どうも弱いな」とか「どうも軽いな」とか、思うことはあっても、直すテクニックがない。で、そのまま公募に送って、大爆死、です。

 なんとかなるだろう、とか、奇跡が起きるだろう、という変な慢心があるのが、僕の最も良くないところ。そういうあやふやで、運任せみたいなのは良くない。何もかもを塗り潰すくらいでいかないと。

 とにかくまた新作を書こうという気持ちになりましたね。それに時間は無駄になったけど、有意義な経験にはなったと思う。これが負け惜しみに近いし、時間を失うのは多大なる損失だけど、まぁ、経験は経験、ということです。

 それにしても、やはり十万字程度でまとめていくのが大事だな。周りが何十万字、数百話とか書いてるからそんなものだと思ってたけど、どうも違う。僕が知らない世界の人たちがそれをやっていて、僕の知らないテクニックがあり、理屈があるらしい。とにかく勉強です。

 話を戻しますが、この「自分でもしっくりこない」は薄々感じ取れるのに、逆に「ピッタリ来た」みたいな感覚は全くない。何故だろう? 吟味が足りないのか、審美眼が僕にないのか。いずれ分かるようになるのかな。

 何はともあれ、カクヨムからスニーカー大賞に登録したり、電撃大賞に登録できるのはありがたい。のらりくらりとやっていこう。知恵を絞って、絞って、引きちぎるほど絞って。

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