第244話 「自分を騙す」という創作手法???

 今回はなんとなく気づいてしまったこと。

 最初に不思議に見えたのは、ツイッターで「オススメのツイート」としてまったく知らない人のツイートが流れてきた場面。それは作家志望の不特定多数に何かを伝えたいアカウントらしく「小説一冊が十万字、プロはそれを年に三冊は出すから三十万字は書ける能力が求められる」と書いている。僕としては、まぁ……、という感想。それから数日後、同じアカウントのツイートがまたも勝手に流れてきて、今度は「十万字を書ける人は自信を持っていい! 普通の人はそんなに書けない!」と主張していて、笑うに笑えなかった。

 僕自身の過去を振り返ると、大学の卒論は原稿用紙五十枚が下限で、つまり、二万字ということですが、負担ではなかった。理由は後述しますが、それよりも印象深いのはサークルの先輩が雑談で「卒論は一日(二日だったか……?)あれば書けるとわかった」と発言したこと。つまり大学生で文章を書くサークルに属する人は、二万字を負担に感じないというのが現実。

 で、僕はと言えば、高校生の時から公募に送っていたので、原稿用紙で三百枚は当たり前だった。空白や改行があるとして、やはり十万字はあったと思われる。むしろ当時のライトノベル系の公募では、最初期のMF文庫Jの公募か、電撃大賞くらいしか短編を受け付けていなかったような記憶がある。なので、小説を書いて名を上げよう、と思えば、必然的に十万字を書く必要があったし、それは「大前提」だった。僕は最初から、必要に迫られて、他に手段がないので十万字を書いていた。書き始めるにあたって、自信も何もなかったし、年に公募に二作を送りたければ二十万字、三作送りたければ三十万字を書くしかなかった。なかったというか、そうした。そう考えるとネット小説、投稿サイトが出現したのは、この「十万字の縛り」を知らない書き手、その縛りを受けない書き手を大きく取り込んだんだな、と思う。良いとか悪いではなく、常識が変わったんだな、と感じます。

 この、僕や学生サークルの人たちにあった「世間離れした感覚」は、明らかにおかしい訳ですが、人それぞれに感覚はあったでしょうが僕個人ではまったく自然に「十万字」が前提で、それは「自分を騙す」ところから始まったのでは。公募に送るには十万字が必要、という意識を刷り込んだというか。

 似た感じで、ジョギングの距離がある。僕はとりあえず時間を作ってほぼ毎日ジョギングしている。一回で七キロのコースを設定してます。さて、この「七キロ」が長いか短いかは人によるけど、僕は長いとは思わないようになった。そう自分に刷り込んでいる。他にも時間があると歩いて買い物をするけど、たまに一駅歩いたりする。これが都会の一駅とは違って、一時間程度になる。距離では四キロ程度と思われる。これもやっぱり僕は長い時間とは思わないし、長い距離とは思わない。変な「誤認」が生じている。

 十万字が「長い」と思わないように「誤認」できると、それは意外にたやすく書けるはず。僕としては十万字を「書く」より、その中で「まとめる」テクニックが重要な気がしますね。僕はそれを身につけたい。しかし皆目、分からないのであった……。

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