第234話 僕もさぞかし「気色が悪い」だろうな……

 今回は思わぬ「気色悪さ」の話。

 僕はリアルの誰にもカクヨムを利用していることは言ってないし、例えばツイッターもリアルの知り合いはフォローしてないし、おそらくされてもいない。しかしたまたま知り合いに遭遇したりして、覗き見たりするのですが、おおよそ自然に受け入れられる。

 ただ、今回、たまたま近くの「電器店」を興味本位でツイッターで検索したら、その店のアカウントに出会ってしまった。ど田舎の電器店なのに、フォロワーが数百人。どう考えても実際の客より多いような……。ともかく、ちょっとツイートを遡ると、なんというか、「気色悪い」感じがする。

 その店の人をリアルで見たことがあり、わずかに話したこともあるけど、現実とネット上に差がありすぎて、気持ち悪い「ズレ」がある。これが六十を超える歳の人の発言か? というズレです。

 で、そのアカウントのフォロワーを見ると、近くの古い、なんというか、洋服店のアカウントも発見して、そちらも七十くらいの店主がツイートしてるとすると、どこか座りが悪い。しかし、近くの和菓子屋のアカウントはそうでもない。和菓子屋のアカウントは五十代程度の店主と年相応なツイートが並ぶ。

 どうも、「若ぶってる」というか、変な媚びみたいなのがあるんじゃないかな、と感じる。僕は書籍に関する情報をチェックするために、近場には支店すらない大型書店のアカウントをフォローしているけど、そのアカウントの発言からは違和感はないし、しっくりくる。もしかしたら定年間近の人が発言してるかもしれないし、あるいは入社一年目の若者が発言しているかもしれないけど、大差ないように感じる。

 このリアルとネット上の食い違いで感じるのは、僕自身は、桃井はるこさんの歌詞ではないですが、「いくつのも名前と体を使い分けている」つもりでいて、リアルの僕と、ネット上の「和泉茉樹」は完全に別人なんですが、仮にリアルの知り合いや、リアルの僕と実際に話した人は、「僕」と「和泉茉樹」の間に不快感を持つかもしれない。そうでなくても、すでに不快感を持たれてるかもしれない。僕が過剰に何かを表現することで。

 大昔、二十年くらい前に「ブログ」というものが流行ったけど、その後に「ツィッター」が来るわけですが、「ブログ」の前はウェブサイトを持ってる人が「日記」を書いたり、同好の人が集まってBBSでやりとりしていた。チャットなんかもあった。そういうのを経てきたので、なんとなく「作法」みたいなものが形成された世代があって、三十代、四十代でしょうけど、今の十代は物心ついた時から実践的に研磨されてる要素だと思う。では、今の六十代、七十代が「作法」をうまく解釈できているか、と考えると、どうなんだろう。この問題は僕にも言えて、「ネット小説の作法」を僕は知らない。それがネット小説、投稿サイトを利用するのは、やはりネイティブな人からすれば、「気色悪い」と感じる場面もあるんだろうな、となる。

 そしていつか、新しいメディアが大きな地歩を占めた時、僕はそのメディアの「作法」も「流儀」も何も知らず、誰から見ても本当の老人になるのでしょうね……。

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