第230話 カクヨムコン、大爆死の反省会

 今回は反省会です。いえ、愚痴祭りです。それはどうなんだと思いますが。

 えーっと、カクヨムコンの中間発表がありまして、長編短編、全滅でございます。

 まぁ、読者選考なので、毎日、ランキングをチェックしている中で、どう考えても、天地がひっくり返っても、通過はないだろうな、と思ってました。

 これが難しいところで、僕が長編として考えるのが十万字なんですが、公募とかそれに近いコンテストを前提にしていて、カクヨムコンはその規定上、十万字では戦えない。少なくとも期間中は毎日更新が大前提だとは言わなくても、やはり有効な戦術だと思われる。

 うーん、あまり適当なことも言えませんが、一話を1000字程度にしていけばうまく戦うことはできなくはないけど、個人的には違和感が強い。この辺りがまだ僕がネット小説とうまく付き合えていない、馴染めていない部分かも。

 あまり文句を言っても仕方ないので、次のことを考えよう。次のカクヨムコンをどうするか。ネタとしては十万字が一つ出来上がっていて、この世界観で膨らませれば、もう十万字、あるいは二十万字は時間さえあれば組み立てられそう。しかし、この冒頭の十万字をそれだけで公募に放り込みたい気持ちがある。ここで抵抗があるのが、一度、どこかで落選したものをもう一度、応募し直せるのかどうか、という考え。絶対にダメ、ではないけど、無駄な抵抗、悪あがきのようで、回避したい。となると、さて、どうするのが一番気持ちがいいだろう。

 こういう変なことを考えるあたりが、DIOが言う「便所のネズミのフン」くらいどうでもいいことなんだろうな、とは思ったりもする。承太郎になりたいわけでもないし、なれるわけもないのですが、ささやかな矜持があるらしい。ただ、ゴミみたいな矜持ではある。

 何もかもを脇に置いて、やはり何かしらの技能、技術、手法が僕には決定的に欠けている、というのはある。これは間違いない。どこかをもっと工夫できるし、どこかを深く掘り下げられるのでしょう。ではそれはどこか? うーん、それが分かれば苦労はしないので、とにかく続けるしかない。

 前もカクヨムコンの後にどこかに書きましたが、読者選考は知名度や宣伝、交流が大きな意味を持つように見受けられるけど、どうも僕はそういうのが苦手だ。加減がわからない。距離感とかも。

 やはり公募の方が向いているのかもな。

 孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の象のように。

 ……いや、違う言葉の方がいいかも。

 鏡は悟りの具にあらず、迷いの具なり。

 僕が書いたものは、鏡に映る自分に近い。悟った気になって、しかし迷うしかない。

 なんて醜悪、なんて歪。

 やれやれ。仕方ないので、また何か、新しく書いていこう。

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