第227話 なんだかんだで「鬼滅の刃」を見ている(アニメで)

 だいぶ前に「鬼滅の刃」をあまり評価してない風なことをここに書きましたが、なんだかんだでアニメを適当に追いかけることになりまして、一応、テレビの方はおおよそ見ました。

 やっぱりしっくりこないことはあるのですが、しかしなかなかアニメの芸術性が凄い。柱は強いというけど、描写が強い。煉獄杏寿郎の最後のシーンとか、宇髄天元が鬼を仕留める最後の畳みかける描写とか、唸らされた。ちなみに僕は冨岡義勇推しです。声がかっこいい。喋り方も。

 さて、適当に眺めていて感じるのは、この作品が強く押し出しているのが、きっと「怪我をする」ということではないかな、ということ。まぁ、骨折して普通に動けるとか、常軌を逸してはいるけど、そこは創作なので、文句を言ってはいけません。

 僕の個人的な感覚として、創作においては「怪我」が重要になる、とは思ってます。ただ、これがずっと昔からある「精神的喪失」と同列になるのは避けたいかな、というのが、僕の個人的な感覚です。例えば「機動戦士ガンダム」におけるアムロの父親とか、マチルダさんとか、ランバ・ラルの自決とかも、実際的に人が死ぬけど、それは数字が一つ減る以上の、かけがえのない喪失なわけで、それをなんとか描く必要はありそう。僕が「鬼滅の刃」を見ていて難しいなと思うのは、禰󠄀豆子を人間に戻したい、という発想はわかるけど、では他の家族が鬼に殺されたことから生じるはずの、炭治郎の鬼に対する憎悪はどこへ消えたのだろう? ということ。僕は原作を読んでないので、この先が楽しみですが、例えば禰󠄀豆子を人に戻せないとしたら、炭治郎がどう決断するのか。その「約束された喪失」をどう受け入れる、あるいは拒絶するか、というのは見てみたくもある。まぁ、そんな展開はあり得ないでしょうけど。

 創作、その中でもバトルとミステリにおいてはとにかく人命の扱いが時代とともに困難になっているように感じたりもします。ネット上でも、「何故、あそこで杏寿郎は退場する必要があったのか」という話があったり、「金田一少年の事件簿」において殺人者と被害者ばかりの学校が出現してしまったり、お約束ですから、では通用しない時代がこれから来るのかなぁ。そうなったら、うーん、ますます異世界ファンタジーが強くなりそう。それはそれで良いんですが。

 話を戻しますが「鬼滅の刃」の功績の一つは、炭治郎が「俺たちは鬼が活動する夜に戦っている」という趣旨のことを叫んだことじゃないかな、とも思いますね。

 そうなんだよなぁ。いや、本当に。

 DIOは夜のエジプトでやりたい放題だったのに、その前にヴァニラアイスは太陽で焼かれてるんだから、なかなか、ままならないんだよな、創作の中ってのも。

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