第218話 みんな人間だなぁ

 今回は全く私的な話。

 変な読書をしたら気が塞ぐというか、グロッキーでしたが、結局は読書で回復した。将棋もやっぱりうまくいかずにグロッキーでしたが、これも結局、将棋で回復した。

 どうにも僕はいろんなことを考えすぎる。小説の中から何かを読み取ろうとするし、将棋の中にも何かを求める。答えを欲しがる。これが正解! みたいな。

 オリンピックを適当に見てますが、男子フィギュアスケートの羽生結弦さんが競技が終わった後の取材で「報われない大会だった」という趣旨の発言をしていて、これがすごく心に響いた。一流のスポーツ選手が、軽々と国際大会とかで活躍するけど、ものすごく努力するし、うまくいかないこともあるのに、見ている方には「結果」しか見えない。それは勝負の世界だから、結果が全てなのかもしれませんけど、そういう選手の、秘めたる苦悩みたいなものは僕はあまり無視できない。

 創作の中の登場人物に関しても、どこかで描かれてないもの、より深いものを探そうとするし、作者の描く理屈を前にすると、それを僕は勝手に深読みしていく。これが、スポーツの「結果」の裏を読みたいと思うのに似ている。

 現代ではスポーツは勝負でありながら興行で、しかも日本はテレビが民放は基本的に無料なので、興行の色が濃くなる。僕がフィギュアスケートであーだこーだ言うのも、テレビを見て言っているだけで、例えば国内大会や国際大会を見に行ってないし、選手の後援会に入ってもない。ちょっとした支援すらしてない。それで結果が出る出ないで歓喜したり落胆したりは、僕の中では何か違う。気がする。微かに。どこかで……。

 スノーボードの男子ハーフパイプでも、平野歩夢さんが決勝の二回目の試技で、完璧な内容だったけど、点数が出なくて「イライラした」という趣旨の話をしていたのが、唸らされた。スポーツ選手が結果が出ないことに腹を立てることもあるし、苦しむのは見えづらいし、わかりづらい。まぁ、テニス選手がラケットをぶっ壊したり、審判に暴言吐いたりするけど。

 スポーツ選手も人間だ、というのが、人権とかではなく、すっかり忘れてしまう認識の勘違いとしてありそう。テレビの中にいるけど、人間であって、創作の中のスーパーヒーローではない、というか。見えないところにいると、他の場面で似た現象が起こる。小説家や漫画家も、人間じゃなくなってしまう場面がある。だからライトノベル作家が楽して稼げるなどというデタラメな話がメディアで出てくるんでしょう。小説家は人間とは思われてない。

 ただ、そうやって他人の個人的な領域とかに踏み込んだり、見て欲しくないところを探ろうとするのは、週刊誌的で逆に良くないな。

 とにかくまた、表面だけを撫ぜる感覚が戻ってきて助かった。

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