第216話 リハビリ
とにかく気持ちが落ち着かない、そして気が塞ぐので、リハビリとして何かを書いていこう、というのが今回の趣旨。
先週でしたが、映画「カウボーイ・ビバップ 天国の扉」がテレビで放送されてまして、僕は劇場で見て、DVDで見て、またテレビで見たのですが、やはり良い。っていうか、謎にDVDを二枚持ってるほど好きです。
この作品はやっぱりセリフがよく出来ている。ウィットというのはまさにこれなんだなぁ、と思う。好きなセリフは「強い女は好みだけどな」とか、「殺しやしねぇ、賞金がパァになるからな」とか、まぁ、「俺はただ、お前に借りを返しに来ただけさ」なんかも痺れるし、とにかくセリフ芸が冴え渡る。
これがアニメだけのものかといえば、おそらく文章にしても通用する技術なのでは、とも思う。むしろ、情景を描写することよりも、困難な分野なのでは。ただ、一人称の小説では使いづらいかも。三人称の方がしっくり来るのが、この手のジョークというか、掛け合いの妙なんじゃないか。こうなると頻繁に起こる、一人称と三人称、どちらが優れているのか、みたいな議論に繋がりそうですが、別にこだわらずに好きな方でやれば? というのが僕の感覚です。
この映画は実はストーリー自体はすごく簡単というか、強引にも思える。それはスパイクが自然とモロッカンストリートに行ったり、簡単にラシードが接触してきたりするのもそうだし、ジェットが昔の同僚からトレーラーの事件の件を聞くのも、そもそもチェリオスメディカルがトレーラー遭難の捜索願いを出さないという対応も、どこもかしこも都合が良さげに見える。公開は今から二十年前ですが、そういう重箱の隅をつつくような視点は、当時はなかったし、むしろそういう都合のいいストーリーラインの方が良かった時代だったのかもしれない。いつの間にか視聴者の目が肥えたというか、粗探しが得意なお国柄、みたいになったんだなぁ、としみじみ感じますね。でも、これくらい一本道のシンプルなシナリオ、僕は好きなんだけどなぁ、今の世間ではダメなのかな……。
ちょっと視点を変えると、SFとしての大道具、小道具が時代遅れに見えないのは何故だろう。現実の現代的なテクノロジーとはかけ離れた、変に古典チックな装置とか、別にそれはそれで良い、という風に見える。そう見えるのが、僕がロートルだからか、それともなんらかの説得力があるからなのかは、僕にはわからない。その説得力も、一定の年齢には通用しても、例えば今の十代には通用しない、ということもありそうではある。僕はやっぱり好きなんだけどなぁ。
この映画では格闘のシーンがあるのも良いな。魔法とか超能力とか無しに、純粋な格闘技で戦う感じ。これはテレビシリーズ第一話でもある。スパイクのジークンドーの描写は全く制作された時期を感じさせない。素晴らしい。
ちょっと余談だけど、この映画の冒頭の方で、スパイクが肉が食いたいと言うシーンがあるけど、あれもきっとテレビシリーズ第一話を意識していると思う。第一話で、肉無しの青椒肉絲が出てきます。これが一部で「チンジャオ」と呼ばれる、異端のアニメ飯です。
特筆すべきは音楽ですが、おっと、紙面が尽きたようだ。サントラは名盤なので、みなさん、どこかで買ってください。しかしOPテーマの「Ask DNA」は収録されてないので、ご注意を。
あー、テレビシリーズ、DVDを揃えたい! どこかに落ちてないかな……。
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