第215話 静かな、しかし深刻な恐慌状態

 今回は図らずも創作活動に関係ある話。

 まさにこれを書いている日の前日に一つ前のエピソードを書きましたが、どうやらかなり深刻らしいと分かってきた。僕の精神が、です。

 とにかく読書の影響を強く受けて、心が縛られているような感覚になり、それが消えない。とにかく常に胸が苦しい。

 取り乱したり、声をあげたりという感じとはまったく離れているはずなのに、心の中の乱れ方、恐慌状態が、もはや手をつけられない。

 これが日常生活では現れないというか、表出することがないんですが、将棋に如実に現れる。まず盤が見えない。次に計算ができない。そして落ち着かない。なので三日の成績が2勝7敗という酷いことになって、やっと精神状態の不自然さが表出する。他の部分でもきっと混乱があって、なんとかやり過ごしているんだろうけど、ここまで精神状態に影響があるのは大問題。

 将棋に関しては、明らかに熱くなりすぎた。まず冷静さが失われ、次に柔軟性が失われる。そうなると全く形にならない。別に将棋は趣味なので勝ち負け以前に、やらなくて良いのが一つの救い。これは再開して早々、また距離をおかないとダメかもしれない。

 それよりも、読書ができない、書くのもできない、という方がより深刻。特に読書で気持ちを落ち着けているようなものが、それができないのは日常生活に差し障りがある。

 ここまで強く読んだ本からの影響、読んだ本から始まる影響に苦しむのは久しぶりかもしれない。前に同じ状態になったのは桜庭一樹さんの「ファミリー・ポートレイト」を読んだ時、それと村上春樹さんの「ノルウェイの森」を読んだ時です。どうやら三冊目の「読んではいけない本」が出現したらしい。

 文章を書く人からすれば、それくらい読者に影響を与えられれば大満足、なのかもしれないけど、僕からすると少し怖いかも。別ジャンルですが、庵野秀明さんがテレビ番組で「社会に影響を与えたじゃないですか」みたいな質問に「それは必ずしも良いこととは言えない」というような返事をしていて、それは庵野秀明さんの作品で救われた人もいるかもしれないけど、極端に言えば破滅した人もいるかもしれない、という趣旨の返答だった。作家、クリエイターは、この二律背反からは抜け出せなくなるのかもなぁ、と思ったし、その二律背反に気づくからプロになれたりするのかも、とも思った。

 僕は色んな小説に救われてきたし、もっと多くの小説を手に取って、読むことによって、なんらかの救いというか、そこに作品があったことを証明したい、と思っています。読めない本があることも、ある種の証明で、むしろ僕の根幹を揺らがせる強い力がある。僕なんかを動かしたところで、全体から見ればかすかなものですが、僕はこの揺れの中から、何かを見つけなくちゃいけないんだろうなぁ。

 しかし、参った。何も手につかない。頭が回らない。冷静にならなくては……。

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