第209話 これは苦しい、という呻きと「数を読む」について

 スニーカー大賞の結果が出たので、ちょっと思ったことを。

 あまり真剣に確認してないのですが、カクヨム上からの投稿で受賞している作品のPVを見ると、特別に飛び抜けているわけじゃない。

 これはちょっと、作者に対して苦しすぎる環境なのでは。

 公募での評価とPVが連動するなら、書いている方はなんというか、とんとん拍子というか、楽になれると思う。しかしPVがあっても公募で落とされるのは辛いし、公募に送って賞が取れればいいけど、三次とかで落ちて、PVも回らないのはしんどい。

 この辺りの食い違いを解消するのが「読者選考」なんだろうけど、こちらはこちらで、宣伝とか知名度、経歴が大きなウエイトに図らずもなってしまうので、何者でもない書き手は太刀打ちできないことになる。

 まぁ、どんな形で選考されるにせよ、公募に原稿を投げ込むのは、辛く苦しい、とは分かってます。良いか悪いか、はっきり判定されますから。辛い? 苦しい? それならやめてしまえ! という世界なんですよねぇ。

 ただネット小説、もしくは投稿サイトでの公開での応募は、あまりに辛く、あまりに苦しい。身も心も引き裂かれる。

 そんな中で、たまたまネット上で、文章を上達させるために「数を読め」という指導がもはや通用しない、という発言を見て、頭が?でいっぱいになった。どうやらネット小説を読んでも文章力は上達しない、という主張らしい。

 この辺りにも公募勢を悩ませる部分があって、公募で賞を取りたい、今のトレンドを知りたい、読みたい、となって、では何を読めばいいのか。ネット小説で勉強するなら、PVが桁違いな作品を読むのか、それともPVはそれほどでもないけど公募で賞を取ったり、最終で落ちた作品を読むのか、そこが選べる。選べるけど、僕にはどちらがいいかは分からない。分からないけど、どこかで何かは学習できるはず。

 本当のところは、しっかりと練り上げられた「紙の本」的なものを読んで欲しい、そこにこそ本当に学ぶべきものがある、というのが、よく分からない誰かの主張なんでしょうけど、これはすごく難しい。音楽や動画などでもプロ顔負けの素人がいるし、写真なども雑誌とかを買って勉強する人よりもInstagramで勉強する人が今は多いのでは。

 僕はまだ紙の本に何かを見出して、買って読んでますけど、それは文章を勉強するなどという理由ではなくて、単に面白そうだからというだけです。もうライトノベルはほとんど引退しましたが、やはりネット上での発言で、売れるライトノベルはイラスト次第、と発言した人がいて、僕としては本当にそれくらいしか意欲を刺激する要素がないという点で共感はできる。帯にある「直木賞受賞」とかと同じラインでイラストがあるという感覚です。

 小説は読んでもらってなんぼだけど、もはや、どうやって読んでもらうか、の勝負だし、読者選考は「読まれてるもの」というふるいで、公募は「読ませたいもの」というふるいで、そういう出版する側の求めとは全く別に、「読みたい」という読者の側のふるいがあって、その読者のふるいは、内容や質とは全く別種の「金を払うか」という要素が強く大きくあるわけで、途端にややこしくなる。網目の違うふるいの後に何が残るのか、僕には全く見えません。

 だからまったく、うだつが上がらないのだなぁ。

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