第208話 プロ棋士のタイトル戦の不思議
これを書いてる時、ちょうど将棋の王将戦の第三局をやってます。渡辺明王将に藤井聡太竜王、という顔合わせ。
タイトル戦だとおやつとかお昼ご飯とかがなかなか面白いというか、どれも美味しそうで、将棋云々より羨ましい。さすがに各地を転戦するのはそれぞれの対局場や土地にとってはいい宣伝になるのでしょう。
不思議なのは、タイトル戦は基本的に和装なので、食事に気を使いそう。汚さないように、と僕なら考えちゃいますが、もちろん、これは和装で食事をするイベントではなく、将棋を指す真剣勝負なわけで、食事に気を払うのは避けたい気もする。本当に一秒でも惜しんで考えを深めたいような?
これはどこで読んだか、プロ棋士が持ち時間が長いタイトル戦に臨んでも、そんなにずっと考え続けている訳ではないようですね。沈んだり、浮上したりをするらしい。その方が僕にも自然に見えますし、感じます。僕が指す将棋は大抵は十分切れ負けなので、別のことを考える余地はないですが、文章を書く時とか、本を読む時は頻繁に息継ぎします。それこそ漫画を挟んだり、テレビを挟んだり、ラジオを聞いたり、ラジオにメールしたり。人間はより深く潜るための息抜きを必要とする思考をするものなのでは。
プロ棋士の先生は、食事をしながら何を考えてるのか、それが気になる。食事に集中できるのかな。それとも将棋のことを考えるのか。僕はあまりにも凡人なので、将棋指しや碁打ち、雀士などから各種のスポーツ選手なども含めて、勝負師が、真剣勝負の場でどんな気持ちでいるのか、想像するしかないのですが、一度でもいいから、そんな立場になりたいですね。
いや、しかし、負けることの恐怖に耐えられないかもな。普通の人が遊びで将棋を指すのとは負けの重さが違う。人生がかかってるし、名誉も、栄光も、勝つか負けるかで正反対になる。もしこれがギャンブル、競馬やパチンコのようなものなら、どうだろう。深く入り過ぎれば破滅して人生が終わっちゃうかもしれないけど、何か違う。
そう、例えば競馬で破滅しても、馬を見る目がなかった、勘が働かなかった、運がなかった、そんな風に納得するしかない。
でも例えば将棋では、自分の計算力、構想、閃き、そういうものが勝敗を分けるなら、何かのせいにはできない。見落としも、読み違いも、構想の抜けも、自分の責任。そこに常軌を逸したプレッシャーの源泉があるんでしょう。
ただやっぱり、僕は豪華な食事を前にしたら、のんびりと味わいたいと思っちゃうな。プロ棋士はやはり、花より団子みたいに、飯より将棋でしょう。将棋より飯、という僕は、それだけで棋力が知れるというものです、はい。
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