第207話 「PSYCHO-PASS」みたいになってきたぞ

 笑い話ではないお話。

 沖縄で警官によって少年が大怪我をして、どういう経緯か、警察署に大勢が押しかけて投石などをする事件がありました。僕は実際を詳細には知らないので、警官に非があったかもしれないし、大怪我した少年に何か間違いがあったかもしれないし、何も判断はできません。

 ただ、たまたまネットで代議士らしい人が「法治国家において、治安を維持する警察署を襲撃した、凶悪犯が、街中を自由に歩いている」のが問題だと発言しているのを見て、すごい世の中だと思った。

 これはどう捉えればいいだろう。仮に警察が悪事を働いても、それは裁けないのだろうか。法によって裁くとして、では、法律が歪められたらどうなるのか。そもそも法治国家の一番の基礎はなんだろう。

 ここからは全くの空想、想像、創作の話ですが、アニメ「PSYCHO-PASS」の第一期を見終わった時、僕が考えたのは、狡噛慎也と槙島聖護は、どちらがサイコパス、異常者なんだろう? ということだった。片方は仲間の仇を取ること、つまり犯人を殺すことに必死になり、片方は犯罪を犯すことに何のハードルも持たない。片方は社会、法から犯罪者とされているけど、片方は犯罪者とはされない。だから僕は、殺された仲間の仇を討とうとする「狂気」があり、犯罪を理解できない「狂気」があって、「PSYCHO-PASS」というタイトルに含まれる意味には凄いものがある、と落ち着いていた。

 ただ、社会で生きる僕たちが誰かしらに「恐怖」を感じるのは、それは法律を無視しているとか、人間として理解できないとか、そういう理屈の上ではなく、もっと根本的な「感覚」なんじゃないか、とも思うようになった。例えば現代日本では刃物は自由に持ち歩けるし、銃だって許可されれば持てる。花火を改造したり、肥料を何かすれば爆薬が作れるかもしれない。車だって免許があれば運転できるし、そもそも免許がなくても車とキーがあれば運転というかはできる。

 普通に道を歩いていて、すれ違う人が自分に襲いかかるかも、と警戒する人はいないし、走って来る車が次の瞬間に自分を轢きに来る、そんな想像をする人はきっといない。その理屈には、法律とか、日本だからとか、そういう要素はなくて、「当たり前だから」なんだけど、何故、当たり前かといえば社会の中での合意、暗黙の了解で、結構、深いところから来ているのでは。

 法治国家とか言われた時、法律が全て、と心の底まで思い込むのは、逆に怖いし、思考停止に近いのでは。法律は正しいかもしれないけど、完璧ではなくて、常に更新される必要があると僕は思う。その中で、犯罪とされるものの刑罰が重くなったり、あるいは軽くなることもあるかもしれない。その変化を許容できなくなると、なんらかの統制みたいになって危険ではないかな、という想像です。

 それにしても、代議士がネットで発言するのはあまりよろしくないな、と実は前から思っているし、信用が置けた試しがない。おっと、無意識に引用するようなことを書いてしまった。誰かが「PSYCHO-PASS」を引用したら、用心するべきだとだいぶ前に学んでいる、とも言えるかも。

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