第196話 意外にもまだ余地がある
今回は日常で感じた「余地」の話。
ここのところ、今ではあまり言われない「ジェンダー」に関係しそうなテレビ番組を目にした時、この社会にはまだ前進する余地、改善する余地があるんだな、と感じた。
男性社会というものにどういう弊害があるかはそれぞれの人に意見があるでしょうけど、男性と女性がなんらかの立場を分け合うことで前進できるのは、家父長制的な主義の人には見えなかった余地だと思われる。
これはジェンダーとは無関係ですが、相撲を見ている時、不意に誰が土俵の大きさを決めたんだろう、と思うことがある。誰かが決めて、それが続くことで、今では「伝統」みたいなものが土俵の大きさをほとんど固定している。今ではきっと誰も、土俵の大きさを変えることは考えない。これは或いは、余地がない部分かもしれない。
こんなふうに分野や要素が違うとはいえ、ある部分には変更可能な余地があり、ある部分には変更可能な余地がない、というのが興味深い。
もちろん、どちらとも言えないものの方がはるかに多いし大きい。サラリーマンは背広のイメージだけど、これは余地があるかないかは分からない。働き方に関しては、リモートワークという余地があった。では、物理的な作業が必要になる仕事はどうだろう。荒唐無稽ですが、ロボットに任せるとなれば、それはそれで余地かもしれない。タクシーは今は人間が運転するけど、いつかは自動運転になるのだとすれば、タクシーの概念に変化の余地がある一方、この変化が本当に起こると、自動車というものの概念さえもが変わりそうである。お金はどうだろう。紙幣や硬貨はいずれ無くなるのか。
ここのところのニュースとして、環境問題に関連したエネルギー革命的なものがありますけど、これもある種の改善の余地に見える。見えるけど、どこまで進むのかは見えない。まず石油の類から脱却する、という主張に見えるけど、どこに基準があるんだろう? 地球の平均気温が上昇しなくなれば良い、という線引きだろうか? でも地球の気温なんて自然と上がり下がりするはず。では一番環境に優しい生き方とは何か、となると、原始的な生活、になってしまうけど、この辺りの兼ね合いが「持続可能」という奴なんだろうな。しかし先進国が持続可能な社会などと言い出すと、途上国にとっては困惑しかないかも、と思う。自分たちがこれから発展する過程の影響はどうなるんだ? となりそう。先進国の勝ち逃げみたいな。これは考え過ぎか……。
世の中、色んなものが固定されて、成熟しているようで、意外にまだまだ流動的だし、どちらかといえば固定とは「硬直」で逆によくない傾向かも、と思いましたね。
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