第194話 文章地獄の人間
今回はラジオのお話。
いつの間にか知名度が出てきたアイドルグループのラジオ番組で、ここのところ徹底してメールを送ることもあって、ちょこちょこ読まれる。
ただ、ついに「文章がすごい」と半笑いで言われてしまい、やりすぎた! と頭を抱えたりしてます。
そもそもからして、日常的に極端に長い文章を創作したり、極端に短い文章を構築することがおそらく一般的じゃない。それは本を読むこと、文章を読むこともそうで、あるいは「言葉を尽くして伝える」ということも一般的ではないのかも。
具体的に表現すると「テンプレートのない文書」が求められることがないというか、文書、書類はそもそもどこかしらに型がある。世間には全く自由な一万字の書類なんてそうそうないし、十万字の書類もあり得ないのでは。
テンプレートがある、という表現も物語を書く人は独特の解釈をする気もしますが、テンプレートとはここでは「項目」のことです。あるいは「順序」かもしれないし、そのまま「定型」でもある。そういう縛りがあるのが「書類」であって、物語は縛りをいくらでも逸脱できる。
で、僕はラジオにメールする時、なんとか短くしようとしたりすると、耳慣れないワードを選んでしまう。これがラジオへのメールのテンプレートから逸脱することもあるのでは、と思う、というか、実感する。僕の個人的な感覚ですが、ラジオへのメールは実際にはあまり自由度がなくて、文量は限定され、表現も限られ、テーマや題材も少なく、ついでに読まれるのはほんのひと握りなので、だいぶ難しい。難しいけどコツというか、思考法はありますが。
これが変なハイブリッドですが、一万字とか十万字で慣れているので、ほんの数百字の文章を自然と作れるのは、我ながら呆れるというか、笑ってしまう。逆にラジオへのメール的文章表現が長い物語にも生きる、はずだけど、さて、どこに生きてるのかな……。
つい数日前のこのエッセイで、読んでいただいた方から指摘がありましたが、「琴線に触れる」を「琴線が震える」と変な風に僕の思考が混乱していて、こうして言葉が頭の中でこんがらがることがあるのを思えば、語彙って大事だし、正確に使うことを忘れてはいけないな、と感じます。それがこんなエッセイならともかく、公の電波に乗るような場で間違っては、目も当てられない。責任はスタッフさんが負うとはいえ、気をつけて分かりやすいメールを書こう、いや、本当に。
しかしまったく、僕も変な方向に拗らせつつあるな。おじさん構文とオタク構文とエセ物書き構文のサンコイチって、冗談でも笑えないな……。
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