第172話 直木賞も「人気があるか」なのかな
ちょっと前に直木賞の候補作が出て、ちらっとそれを見たので、今回はその辺りの話。
気になるのは米澤穂信さんですが、取れるでしょうか、取って欲しい。ミステリーが直木賞というのが、実はちょっと僕には抵抗があって、これは全くの個人的なイメージですが、直木賞の対象の「大衆小説」の示す範囲がどこまでなのか、それが僕の中ではだいぶ絞られている。縛られてもいる。
米澤穂信さんは非常に素晴らしい作家で、僕もかなり読みましたし、直木賞にふさわしいと思う。僕はかなり前、有川浩さんがいつか直木賞を取ると思ったけど、今のところそんな感じではない。この、有川浩さんは取れず、米澤穂信さんが取れるかもしれない、という辺りの判断が僕の中の「直木賞のイメージ」をやや刺激するということです。
僕が直木賞を本当に意識したのは2005年頃で、森絵都さんの作品を読んだのがきっかけですが、本当に「直木賞とはこれか!」と膝を打ったのは、桜庭一樹さんの「私の男」です。この作品は僕の中では巨大で、桜庭作品の初期を締め括る名作ですが、この小説はいかにもな小説で、娯楽性はあまりない。人間の心の内とか行動とか、そういうものを描いていて、はっきり言ってドロドロしていて、粘着的で、物語として救いがあるようでもなく、ただその代わりに読者を飲み込む力があった。
僕はエッセイで「純文学は無くなった」ということをどこかで書いた気がしますが、もしかしたら「大衆小説」も無くなったか、何かが変わったのかも。これはどこかの作家が言った「今の小説はみんなミステリーだ」と呼応して、今や、ミステリーこそが大衆小説なのかもなぁ。こうなると、例えば星雲賞を取るようなSF小説が、いつか直木賞を取ったりする未来があるのかな。
ちょっと話題を転換して、万城目学さんがツイッター上で自作を「作者自身が面白いと思って書いてない」などと評価されたことに反論してますが、僕自身も、書いているときは、面白いものを書きたい、こうしたら面白いだろう、どうだ! とやっているので、読んだ人に「作者が面白いと思って書いてない」と言われるのは心外だと思う。
とかく今年の僕は、物語を書くこと、評価すること、批評すること、そういうものに引きずられたけど、僕は少なくとも書いている人は「面白いものを作りたい」という一念で筆を取っていることを心に刻みたいと思いました。どんな批評が作品やジャンルに向けられたところで、楽しいものは楽しいし、その楽しみは消えて無くならないはずなので、とにかく「自分の内側の興奮」を形にできたらいいな、と思ってます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます