第170話 超現代的インフラ破壊
年末ということもあり、ちょっと考えたことが今回のお話。
僕はもう何年も年賀状に縁がないのですが、葉書というものがインフラのようなものとして既に成立しないのが、やや怖い。
今は値上がりしてますが、少し前は葉書は五十円で全国のどこへでも送れました。ただ、Eメールの登場が葉書というものを構成する要素の全てを上回ってしまった。まず、自由自在に書いたり消したりできる。そして、すぐに相手の手元に届く。さらに、超安価。こうなると葉書にどんな強みがあるのか、すぐにはわからない。あるいは、僕は少しも信じませんが、手書きの文字を見て何かを感じる人がいるのかもしれないけれど。ちょっと脱線しますけど、たまに幼稚園児くらいの子供が描いた超抽象的な絵がテレビとか広報誌に出たりしますけど、僕は全く心に響かない。響くものがない。まったくの無なんですけど、世の中の人は何かを感じ取るのかな。謎だ……。
とにかく、葉書という文化は明らかな代替手段が出現し、しかもおおよそ全てにおいて不利になってしまったわけで、これから、どうなるんだろうか。
これは電話にも言えることで、固定電話はもはや基本的に必要なくなった。役所や商店などでは必要かもしれないけど、個人宅で固定電話を置く理由とはなんだろう? 電話に関しては、スマホが充電が必要であるという点で、やや固定電話に利が残されているとは思うけど。
FAXとか、なくなったなぁ。もうだいぶ前ですが、聞いているラジオ番組で、FAXを配信してるというか、そういう企画があって、僕の家には機械がなかったので、コンビニにあるFAXを利用しようか、真剣に考えた思い出がある。使い方がわからないからやりませんでしたが、もうどこのコンビニにもFAXは無いのかな。複合機から送信とか受信できるのだろうか。
Eメールその他の通信で不可能なのは「物体」を送ることで、最近では金券的なものは送れるようですが、当然、荷物は送れない。ただ、それじゃあJPはただの宅配業者になってしまうな。もっとも、JPは本当に全国に支店があるので、有利に見える。見えるけど、実際にどうかはわからない。逆に非効率になるのかな、維持のコストとか人件費ばかり増えたりして。
最近、テレビもネット配信で見るサービスが増えて、これはもしかして、「テレビ」というものはいずれ無くなるのかな。スマホとかタブレットで見るのが当たり前になるのかも。そもそもからして、みんなで一つのテレビを見るのは非効率で非合理ではあるから、個別にメディアに接するのは有意義かもと思う一方、意見交換みたいなことしようにも、全体の情報が散漫になると、隣にいる人と前提が共有できずに議論にはならない可能性はある。まぁ、意見交換もネット上で行われれば、何も問題ないのかもな。
今年も年賀状の季節ですが、テキトーなことを言えば、大晦日も元日も、ただの他の日と変わらない「一日」なので、あまりありがたくはない。しかし年末には餅つきがあって、つきたての餅が食えるのはありがたい。毎日が餅つきならいいのに。
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