第157話 僕たちは「理由」を求めてしまう

 怖いのであまり触れないようにしてましたが、今回は「理由」の話。

 中学生に関する事件において、被害者が被害者である理由、加害者が加害者である理由、が問題になる時、僕は誰もが「理由」を求めるものだなぁ、と考えてました。特に重大な事案だと、犯罪が起こった背景という「理由」、犯罪を起こした「理由」を提示してもらえないと、どこか落ち着かなくなってしまう傾向にあるのでは。理由もなく犯罪が起こる、となると、やはり怖くはあるけど、全てに「理由」がある、と言い切れないのでは、と僕は遠くから見ていて思った。

 全くの僕の趣味の領域ですが、大相撲において、一時期、稀勢の里がとかく、勝てない「理由」を議論された場面があった。これが、勝てない理由がある=それを克服すれば勝てる、という変な式が成立して、実際はそこまで簡単ではなかったと今ならわかる、気がする。具体的には、稀勢の里は右の脇がガラ空きだ、右が使えてない、と指摘されましたが、横綱になった時はたしかに右上手を引くようになったけど、それまでと右の使い方が劇的に変わったようではなかった、気がする。つまり、稀勢の里が勝てない「理由」とされたものは、意味がなかったのか。「理由」などなかった、のだろうか。

 この世にあるもの全てに何かしらの「理由」がある、とするのは、そこには「理由」がない、という極端な反撃を痛烈に受けて、うまくいかなくなってしまうのでは。例えば、僕がプロ作家になれない「理由」が仮にあるとすれば、それがはっきり見えるなら、解決可能なら、僕はその「理由」を狙って潰しに行くと思われる。しかし、僕がプロ作家になれないことに「理由」がない、とされてしまうと、僕はどうしたらいいか、わからない。目標が存在しないので、手探りのままになる。

 この「理由」のない不安は、絶対に避けようがないし、受け入れないといけないのでは、と思った。例えば、経済が落ち込むのは政治家や学者だけが「理由」ではないし、新型コロナにまつわるパンデミックの発生もおそらく自然現象で「理由」はないし、自分に才能がないのも、生まれ育つ環境に恵まれないのも、やっぱり、「理由」はなくて、偶然なんじゃなかろうか。

 人が人に殺されてしまうこと、人が人を殺してしまうこと、そういう極端な事態は避けるべきだし、避けるためには「理由」を探して、次に同じ事態が起こらないように対処するのが正しいんだろうけど、では、どこかしらに何かしらの「理由」らしきものを探り出して、それで何かしらを決めつけたり、安心したりするのは、本質的な解決ではない、と言いながら、こういう問題には解決というものは存在しないんだろうなぁ。

 なんか、まとまりのない文章になってしまいました。

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