第155話 「記号」ってありますもんね

 今回は日本語的な「記号」の話。

 あまり本筋を知らないのですが、イラスト界隈における「萌え」がどういうものか、というのが面白い議論です。これは僕の中ですごく印象深いんですが、「トリニティ・ブラッド」のTHORES柴本さんとか、「されど罪人は竜と踊る」の宮城さんとか、少し前だと山田章博さんとか美樹本晴彦さんとか、そんな画風が僕は好きで、その後だと久織ちまきさんとか、水上かおりさんとか、椋本夏夜さんとか、やはり好きなんですけど、こうやって眺めるとオタクカルチャー界隈のイラストの雰囲気って変化してるんですよね。参考になる資料かは曖昧ですが、こげどんぼさんのイラストを十五年くらい遡っても、変化があるかもしれない。

 これがおそらくある種の「萌えの熟成」みたいな現象で、受け入れる人と、拒絶する人が生じたのは、辛い酒が好きか、甘い酒が好きか、みたいな差なのかな、と僕は思う。しかし、辛い酒は酒じゃない! とか、甘い酒はジュース! とか、そんな主張がどこかおかしいように、萌えとか、萌え絵はそれはそれとして価値はあるはず。

 この「萌え絵」が槍玉に上げられると、例えば「ライトノベル」とか「ギャルゲー」も批判されてしまうし、あるいは「アイドル」とか「声優」も批判されることになるけど、実はそんな全てが、本当はただの「記号」なんじゃないか。記号批判が、瞬間的に個人とか固有なものに向く、ような。

 僕が正直、うんざりして、辟易していたライトノベル批判も、実際にはライトノベルの全てではないはずが、何故か「全て」に見える局面があった。それはおそらく「記号」がなんらかの形で作用したと思われる。

 他にも「アイドル」と聞くとすぐ「秋元康」と考える人がいるし、「声優」と聞くと「水樹奈々」、「アニソンシンガー」は「LiSA」みたいに、記号同士が容易に結びつく場面は多いのでは。もちろん、虹のコンキスタドールとか、上田麗奈とか、亜咲花とか、知ってる人が少ないからこの記号と記号の結合が起こらないわけで、別の方向から見ると、記号化して、別の記号と結びつけると商売としてうまくいく、という面はあるかも知れない。具体的に書くと、「鬼滅の刃」と「花澤香菜」を結びつけるとか。これはまったくの個人的感覚ですが、「花澤香菜」と「鬼滅の刃」はまったくくっつかないし、実は「早見沙織」と「鬼滅の刃」も、うまくくっついてはいない。ただ「宮野真守」と「星野源」がくっついたりはした。「秋元康」と「22/7」はくっついてないけど、「三四郎」と「22/7」はくっついたし、「22/7」と「タイムマシーン3号」がくっついた結果、「タイムマシーン3号」と「藤田ニコル」は僕の中でくっついた。なんていうか、つくづく、謎だ……。

 こうやって、どこまで行っても何かを摂取する時、「記号」が重要なのがこの世の中っぽい。嫌いな記号があっても、そっとしておける人間になりたいところです。

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