第154話 気持ちって大事だ

 今回は純粋な「精神論」の話。

 つい何日か前に将棋の竜王戦の第4局がありまして、豊島将之竜王を相手に藤井聡太三冠がストレートで四連勝して、竜王のタイトルを取りました。

 一方、僕はといえば将棋ウォーズで負けが混むというより、負け続けて完全に気持ちが挫けて、もう辞めたい。というか、辞めるべきじゃないか、と思い始めてます。

 本当に不思議なんですが、対局しようとアプリを起動した時点で、気持ちが萎えていて、気力が出ない。そして始まっても、なんというか、指が軽く動いて、頭は回らず、悪手しか指さない。これが純粋な技術の不足、計算の誤りを明らかに超越した、「精神的な敗北」という感じで、僕はあまり精神論は好きじゃないですが、精神が明らかに思考力に影響を及ぼしている気がする。

 なんでそんなに気力が出ないのか、不思議になるほど気力が出ない。勝ちたいとか、負けたくないとか、そういう気力がない。なんとなーく、義務感に近いもので、虚無のままに流されて、何も考えず、あやふやなままに局面を進めてしまう。

 強くなりたい、とか、上達したい、とか、そういう気持ちがなくなるのは、寂しいし、悲しい。きっとこれは全てにおいて言えることなんだけど、この「寂しさ」や「悲しみ」を受け入れられる人と、受け入れられない人がいると思う。どれだけ寂しくても悲しくても続けられる人と、続けられない人がいるのでは。例えば僕だったら物語を書くことに関しては、受け入れる気がない。まだ、新しい何かができるはずだし、何かが起こりそうな気がする。その曖昧な感覚をまだ信じている。物語を書くことは、寂しくも悲しくもないと信じたいし、信じていたい。一応。でも将棋は、受け入れつつある。寂しくても、悲しくても、何も考えずに一日三局指して、負けて、負け続けて、何も感じなくなり、やがては本当の無になって、寂しさも悲しみも失い、将棋を辞める、かな。

 寂しさや悲しみの中でも生き続けないといけないのは、なかなかしんどいけど、世の中の人はそれを受け入れて生きてるんだろうな。僕にはそれは辛すぎる。面白おかしく、楽しく生きるために、面白いこと、楽しいことをそのままで手元に置いておきたい。寂しさ、悲しさを感じるくらいなら、手を出すことをそもそもしない、という、ある種の無謀なスタンスは、やっぱり生きにくいと評価するよりないけど。

 将棋は勝ち負けがあるから、余計に厳しい。まぁ、公募も勝ち負けがあるようなものだし、ラジオにメールを送っても採用されるか、されないか、が勝ち負けに近いんだけど、うーん、将棋よりも文章をいじる方が向いているのかな。将棋より文章の方が遥かに自由だから、だろうか? 謎だ……。

 何もかもを忘れるまで、将棋ウォーズは弄らないようにしよう。他にやらなくちゃいけないことも多いし。とにかく、頑張ろう。頑張るしかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る