第136話 「目的」がない自分

 今回は本当に個人的な自分語りと、寂しさの話。

 何回か書いたことではありますが、僕はずっと何かしらの物語を書いてますが、これは幸運な形で「行為」と「目的」が逆転したから続けている、続けられていると思うのです。

 ずっと昔、ライトノベルに触れた僕は、本当はイラストが描きたいのに、絵心がないと見切りをつけて、ではプロのイラストレーターさんに絵を描いてもらおうと、物語を書き始めました。この段階では書くことは「行為」であり、絵をつけてもらうのが「目的」でした。

 その流れの中で公募に挑戦して、当然、箸にも棒にも引っかからないとなったので、「目的」が、絵を描いてもらう、ではなく、公募で賞を取る、という一つ手前の段階にシフトしました。ただすぐに賞を取るどころか、一次選考すら通過しない、という現実に直面します。すると今度は「目的」が、イラストをつけてもらう、より前の、賞を取る、より前の、一次選考を通過する、にシフトしたわけです。そしてそんな低い目標で続けていくうちに、一次選考をどうやったら通過できるのか、という試行錯誤が「行為」なのか、「目的」なのか、すっかり分からなくなった。ここまで来ると、単に物語を書くのが楽しいし、評価されたいという「目的」も遠く思えて曖昧になっていって、そのまま僕は「目的」のための「行為」が目的化して、本当の「目的」と実際的な「目的」が激しく混ざり合って、今に至ります。

 ネット小説に触れてまだ数年ですが、チラホラと書くことから離れる人が見受けられて、それが僕には少し寂しい。作品の続きが気になる、とか、作品を完結させて欲しい、とか、そんな感覚ではなくて、もっと単純に「やめて欲しくない」、「諦めて欲しくない」という感覚です。もっとも、僕が公募でのらくらやってる間にも、諦めた人は大勢いただろうし、僕が一次落ちを繰り返してる間に、一次とか二次に残っても書くことをやめた人、最終に残ったけど書くことをやめた人はいたはずで、このことを考えると、なんとも寂しい。

 世に出ていない才能がある、という意見もありそうですが、世の中とか、才能とか、そんなものよりも、僕の感覚では戦友がいなくなるようで、寂しいです。どんなに評価されてなくても、頑張っている人からは勇気をもらえるし、励みになる。その人が挫けるのは、本当に寂しい。そこはそれぞれの人に思うところがあるし、続けるのも諦めるのも、別のことをするのも自由だから、とやかく言うことはできません。僕が勝手に支え合っていると錯覚してるだけで、僕が見ている誰かしらはもう物語を書きたくないのかもしれないし、ものすごくしんどいのかもしれない。苦しい思いなんてしない方がいいのは間違いない。

 僕が物凄く苦しくなるのは、だから、僕自身が挫けるよりも、誰かが挫けることで、それはつまり、僕が見ている幻想が、幻想だと分かってしまいそうな恐怖に直面してしまうからかな、と思う。僕はいつの間にか結果なんて度外視して文章を作っているけど、それって何か違うのでは、と考え始めると答えは出ない。答えはきっと「目的」と呼ばれるもので、僕の中には確固とした「目的」がないからです。

 ただ書きたいから書く、で、さて、どこまで行けるだろう。

 ただ書きたいから書く、ということは、果たして理解されるのか。

 まぁ、理解されなくても僕は書いてしまうんですが。

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