第133話 驚くべき棋力の低下

 気力ではなく「棋力」の話。

 ここのところオリンピック、パラリンピックの影響でNHKで放送されている「将棋フォーカス」もNHK杯も見れていなくて、ついでに将棋ウォーズからも忙しくて遠ざかっていたのですが、久しぶりにやったものの、一勝二敗と酷い有様。十分切れ負けに慣れていないとはいえ、十秒将棋で三級なのは過去の栄光となったかもしれない。

 本当に長い間、半月とか一ヶ月とか、将棋から離れるともうテクニックを忘れる。自分がどういうふうに指していたのかさえも忘れる。どこかで「一日練習しないと自分が気付き、二日練習しないと先生が気付き、三日練習しないと客が気付く」みたいな言葉がありますが、まさにそんな感じです。一日に三局しか指せないとしても、意地でもやるべきかもしれない。

 しかしいつの間にか、将棋を指すとどっと疲れるようになった。思考法だけじゃなくて、精神状態、緊張感への慣れもあるのかもしれない。

 将棋において、というか、何事もそうだけど、相手のミスを待っていたらダメだし、投げ出すような手は指しちゃいけない。何度もこのエッセイに書いているけど、将棋においてはカッコいい手を指したくなってしまって、しかしカッコいい手の大半は悪手なんですよね。将棋は結局、戦法とか囲いとか以前に、悪手を指さない、これに限ります。プロになると長い目で見た良し悪し、まさに大局観が大事でも、アマチュアはそもそも一手で大激痛の悪手を指す。なんとも、僕も愚かしい。なんで見えないのかな、と思うけど、そもそも見ようとしていないし、読もうともしていない。

 出来ることならアマ初段くらいにはなりたいですが、どれくらいの訓練を積めばいいか、ここのところは全く見えない。見えたのは、とにかくコンスタントに続けることと、プロの対局を頭に染み込ませることでしょう。このプロの対局を頭に入れるやり方は、永瀬拓矢さんのやり方に近い気もします。藤井聡太さん流の詰め将棋をやる上達法も有望なんだろうけど、なんだかんだで気力が続かない。せっかちなんでしょうね、すぐ答えを知りたくなる。

 あまり考えたくないことですが、世の中にはいろんな才能を持っている人がいますが、結局は技術がついてこないと意味がないし、長く耐えられないと身につかないし、そもそも好きじゃないと何にもならない、ということか。僕は将棋は好きだけど、耐える根性がないから、仮に才能があったとしても開花はしないんだろうなぁ。まぁ、そんなことは世の中に掃いて捨てるほどあるんでしょうけど。

 将棋は趣味としては悪くない。しかし勝負なので、しんどい、続かない。それでも弱すぎるAIとはやりたくないという、この傲慢な自分。少しずつまた勉強しよう。盤をちゃんと見ること、考える癖をつけるところから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る