第125話 久しぶりに体が震えた

 北方謙三さんの世界観であることですが、「瘧のように体が震えた」みたいなのがあって、瘧、「おこり」とは何か、ということをよく考える。怒りとか、武者震いみたいな使われ方だけど、まぁ、震えのことです。

 最近の将棋は十分切れ負けに切り替えて、たまにやる、という程度にしてるのですが、初めて十五分以上かけて、一局を指した。とにかく素人同士なので、特別な手筋とかはないし、お互いに悪手を連発するのですが、最後、読めるか読めないか、となった。相手が時間もなくて、こちらが入玉したので、一時的に明らかに勝ちを放棄していたのですが、こちらには詰ます筋が全く見えなくて、難渋した。

 それでも終わった時には、さすがに体が震えた。はぁー、と息を吐くと、もうブルブル。

 僕の生活的にすごく緊張する場面は少なくて、元々から緊張はしても態度とか声とかには出ないようですが、将棋はとにかく、緊張する。勝つか負けるかという極限状態は、やっぱり自分には不向きだけど、嫌いではないのが不思議。趣味でやってる、遊びでやってるから、そんな適当なことが言えるわけで、勝負で生きていこう、それも瞬間の選択の連続、後戻りできない選択の連続の勝負で生きていこう、そんな風に思ったら、今以上に破滅しそうではある。

 せっかちなつもりはないけど、どこかで投げやりで、集中の限度を超えると、ほとんど駒を投げるような指し方をしてしまうのも、やはり良くない。先を見通すのは無理でも、とにかく考える、という姿勢が大事かも。

 それにしても、震えてしまうのと同時に達成感があって、これは癖になるな。危険な癖だけど。競馬はやったことないけど、自分が馬券を買った馬が、スルスルっと末脚を発揮して馬群を抜けて先頭に立った時とか、こういう感動があるのだろうか。

 うへー、怖いなぁ。

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