第123話 非倫理的なSFを想像をしてみよう

 たまたまSFの設定でアンドロイドとサイボーグの違いを考えた時、非常に気持ち悪い、悪寒しかしないところへたどり着いた気がしたので、ここにまとめておきます。

 まず、サイボーグとアンドロイドの違いをどうするか、とするけど、「攻殻機動隊」的なポジションにすると、「生身の脳」が入ってるのがサイボーグ、全部が機械の人型ボディで人工知能が操るものがアンドロイド、としよう。

 さて、では、アンドロイドのバリエーションを考えていきます。

 まずはオーソドックスな、機械の体にコンピュータを搭載したもの。これはまさしく普通。語るべきものが何もない。実に古典的アンドロイド。

 次に、機械のボディに、「アンドロイド用の有機的な脳組織」を搭載したものはどうなるのか。この脳組織に「自我」があるのか、が議論になると思われる。具体的に考えると、普通の人間の脳を手に入れられないはずなので、クローン人間を、全体か部分的にかはありますが、意図的に作って培養してまっさらな脳を用意することになります。この時点で気分が悪くなる。怖すぎる。それでも、この「生身の脳」になんらかの「アンドロイドとしての刷り込み」もしくは「教育」するので、こうして生まれる人型の機械人形に脳が搭載された存在は、人かアンドロイドか、際どいところになる。しかし、怖いな……。

 根本的な「人間」をどう定義するか、というのが、この段階に至るとボディが「肉」か「機械」か、「有機物」か「無機物」か、という素材に由来する要素では行えなくなる。つまり「人間」とは「思考」や「発想」ができるかどうかで、ボディ、器は、些細な問題になる、かもしれない。しかしその領域になると、機械や人工知能の知能や知性が人間と同等、もしくは限りなく同種に近くなると、サイボーグとアンドロイドの境界線の議論が、人間とは何か、人と機械の違いは何か、という議論にすり替わってしまうかな。

「生身の肉体」を持つアンドロイド、という存在もそろそろ議論しなくてはいけないのか。まず、クローン人間の肉体を用意して、機械の頭脳を載せるパターンがあるけれど、これにどれくらいの意味があるかは、分からない。

 我が思考ながら寒気がする発想は、「生身の肉体」の「生身の脳」に、「アンドロイド的な人間に限りなく近い意識」を転写できたら、どうなるだろう。これは、人間に限りなく近いけど、意識が「アンドロイド的」で、「人間」ではないのだろうか。よくある、もしくはありそうな設定で、アンドロイド的思考に矯正されていた意識が急に人間性を取り戻す、というストーリーはありそうだけど、ただ、仮にこの「人間そのもののアンドロイド」が意図的に創造されているとなると、人間性を取り戻すのはバグか製造ミス、欠陥製品とされるわけで、「人間そのものアンドロイド」が社会的な基礎的価値観に組み込まれ、社会的な常識、当たり前になっているとしたら、悲惨な未来しかない。人間性に目覚めたけど、誰もその人間性を認めない、みたいな。これは怖い。というか、ここまでの文章の全てが怖いけれど。

 さて、ちょっと話を変えて、「生身の体」をクローンか何かで作り出せたとして、そこに、ある「個人」の「意識」を焼き付ける、転写できるとどうなるか、というのは、最近では森博嗣さんが描いたり、少し前では奈須きのこさんが蒼崎橙子のエピソードで触れている。

 この件はおおよそすんなり理解できるのは、本人が別の肉体二つ、AとBに意識を転写して、記憶も引き継げたとすると、その時点では同じ記憶を持ち、同じ価値観を持つ存在が、本人、A、Bと、三個体、同時に存在することになる。これが例えば自分のクローンが目の前にいて、「俺が俺で、お前は俺じゃない」とか口論になるような感じで、自分が何人もいる、という認識が破綻する感覚がありそうだけど、ただ既に「個体」として「別人」なわけで、その瞬間から、本人、A、Bは、それぞれの意識で世界を認識し、時間の経過と共に全く別人になっていくと思う。

 ただ、こうやって、なんらかの理由で今の自分を始発点とした別個体を生み出した時の問題は、その個体は社会的にどう認識されるだろう。この技術が存在する社会の段階では、クローン人間、という認識は通り過ぎていると思われる。意識の発展による個体差が市民権を持てば、クローン人間は誰かと同じ遺伝子を持つだけの「個人」とされるはず。なにも特別ではない「個人」となるのでは。

 この、自我や意識の発展が途中で枝分かれした、クローン人間より遥かに相似形の「精神的基礎が同一人物」か、「同一の意識から分岐した存在」は、今のところ、名称がないようである。

 実際的というか、自然な疑問は、人間の意識を転写する対象になる「器」であるところの「生身の肉体」に、元々の自我や意識があるのかないのか、が奇妙である。森博嗣さんが小説で描いたように、二重人格になるだろうか。

 これは臓器移植用のクローン人間を作るのが非常に倫理的に許せない要素としてあるし、もっと踏み込んで、なんらかの技術によって、クローン人間に成長しても「自我」を芽生えさせない、ただの人形として成長させられることができてしまうと、これは非倫理的どころか、人間性が疑われる事態と思われる。

 意外にアンドロイドとサイボーグの定義から、話が膨らみましたが、自分で書いていて怖くなった。眠れなくなりそう。

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