第120話 みんな、どこへ行ったんだ?

 ツイッターを僕は自分でも分からないまま、何故か利用してますが、オリンピック反対論がめちゃくちゃあったはずが、オリンピックが始まった今は、そんな意見がほとんど見受けられない。おいおいみんな、どこへ行っちまったんだ? という感じなんですが、これは仕方ないのかもな。

 本当に簡単な仕組みなんですが、オリンピック反対派のアカウントが仮に三百あるとして、そこへ一つ、それっぽいツイートを投下すると、リツイートやいいねが三百ついて、自然と世論が「オリンピック反対」みたいに見えるんですよね。だから、例えばオリンピックに否定的な意見が山ほどあるように見えても、実際にはごく少数しか精鋭と言ってもいい「純粋な反対派」はいなかった、ということなんでしょう。

 この件はいくつかの事実のようなものを示していて、一つは、僕たちが何かしらの情報を見る時、数字を一つの指標にするようになった、ということです。テレビにおける視聴率、ラジオにおける聴取率などは昔からありますが、僕たちはそれに限りなく近いけど、極端に不透明で、しかし何よりも歴然としている(ように見える)数字を目の当たりにしている。

 仮に、あるニュースがリツイート一万、いいね三万、となっていると、僕たちは「世論」の存在を意識しないわけにはいかない。そこに賛同、ないし、否定のリプライがついていて、その賛同か否定に、大勢が固まるように見えたりすると、それはただの世論ではなく、「大勢が支持する世論」か「大勢が否定する世論」か、も決まってくる。

 似た形では、動画投稿サイトの再生回数も似た要素がある。一つのアイドルを取り上げて、一つのMVが百万回再生されているのを側から見たら、あなたはどう思うだろう。そのアイドルは人気があるのか、無いのか。多くの人に支持されているのか、いないのか。この判断は全く個人に任されていて、裏付け不可能な数字だけが判断材料としてある。極端に言えば、百万回が、百万人が一回ずつなのか、百人が一万回ずつなのかは、わからない。

 僕たちは数字に縛られ始めていて、その数字を裏付けとしてしまうと、実際的な判断を誤りかねない、なんて大袈裟に書くほどでもないのかもな。

 これはNHKでもやってますが、政党支持率の一覧がある。ただ、日本人だけなのか、他の国もそうなのか、とりあえず、特定の政党を支持していない、という人が大勢いる。そもそもその世論調査も極端に少ない数がサンプルになっている。なのに、僕たちは、ある政党は国民に支持されている、ある政党は支持されない、というバイアスを自然と受ける。中には、「総理大臣のどこを支持するのか」とか「総理大臣のどこが支持できないか」みたいな謎の、いくつかの項目をあげてのパーセンテージを出したりすることもあって、これは冷静に考えると意味がわからない。印象操作に限りなく近い。

 最近ではサイバー攻撃なんていうけど、それは他国が他国に影響を与えているから問題、ということだとすれば、本当のサイバー攻撃は、国内の人間が国内の人間に対して行なっているようだし、それは言論の自由とセットになることで、今は黙認されているようではある。ただ、この情報による感情や主義主張の操作は、何かの拍子に「表現の自由」を根こそぎに消し去ってしまうのでは、と思わなくもない。

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