第119話 作品と作家の分離が不可能になりつつある問題に関して
今回のこの文章はまったくの僕の個人的な記録ですが、ネットという公の場所に記録したいと思ったので、書いておきます。
ここ数日、すごくモヤモヤしたことがありまして、最初は、ツイッターのトレンドでした。それは大麻に関するもので、十両力士の貴源治に関するものです。僕も正直、双子の兄弟で、不祥事で引退した貴ノ富士のことを考えたし、元は貴乃花部屋だから、なかなか難しいな、と思った。
ただ、そのトレンドのツイートをチェックした時、すぐにとあるミステリ作家のツイートにぶつかりました。非常に軽いタッチで、「元貴乃花部屋の力士、どうなってんの?」みたいな内容でした。
これがすごく解せなくて、どうしても考える点が二つあります。
一つは作家が公の場で意見を言うことが当たり前の時代になったけど、果たしてどこまでが許されるのか、ということ。許される、というのは、僕だけかもしれませんが、作家は作品で語る、と考えた時に、作家の個人的な発言が作品の評価に影響する様になってしまうのが、読者はどこまで許容できるのか、ということになります。正直、僕はこの件の作家の名前は何度もネット上で見ていて、面白い作家らしい、と認識していて、余裕ができたら本を買ってみようか、と考えてました。ただ、さすがに今はそんな気持ちにはなれません。
それは後述の問題からくるものもあるのと、その作家のツイートを少し辿ると、例えば新型コロナに関して、本人は注意喚起か啓発のような感じなのでしょうけど、不安を煽っているようにも見えて、やっぱり印象が良くない。
作家は作家で、作品は作品、と割り切れればいいのですが、今回は流石にそこまで割り切れないのが僕の心理です。そして、十年以上前から追いかけているベテランのミステリ作家が、その件の作家の本の帯を書いている、と知った時、そのベテラン作家に対する評価も、かなりぐらつきました。
情報を送受信できる時代ですけど、作家の印象で、作家とは独立しているはずの作品への評価が変わってしまうのは、難しい問題だと思います。
もう一つの問題点は、件の作家がミステリ作家だ、ということです。貴源治、貴ノ富士、貴ノ岩は問題行動をとっている、つまり、犯罪者ではなくても、間違ったことをしてますが、それを、「理解できない存在」の「理解できない行動」としてしまうことを、ミステリ作家が容認して良いのか。その作家はタイトルからして殺人を扱った小説を書いているようだけど、作品の中でおそらく存在するだろう殺人犯に、なんらかの「読者が理解できる要素」を組み込んでいるのではないか。今回の件ではなくて、重大な事件は数多く現実に存在するし、そういう重大事件の犯罪者は、あるいは、普通の思考では理解できないし、理解しないで処罰すればいい、のかもしれない。創作の中でも、ただ人を殺すような理解不能な存在を描けるかもしれないけど、きっとミステリはそうじゃないと僕は感じている。
ミステリだけじゃなくて、全ての創作では、正義だろうと悪だろうと、それを作ってる人はなんらかの「理解」や「解釈」をするものだと、僕は思っていた。
そこから、このミステリ作家は、犯罪や問題が現実に起きた時、茶化すことはあっても、何らかの理解の努力とかはしないのか、とか、茶化すことをまず自制できないのか、というモヤモヤが起こって、この作家は読まないでいいかな、となりました。
もちろん、僕が書いた何らかの文章を不快に感じて、「こいつはダメだな」と思ってる人もいるだろう、とは感じてます。この、情報が溢れる現実に生じた問題は、実に難しい問題です。
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