第112話 日本語の不思議というか、死語のようなものの話
僕は昔から「もって」という言葉を変に解釈してました。例えば「怒りを持つ」という感じの表現が広く使われていると感じていて、近いのは「殺意を持って刺した」みたい使い方なんですが、すごく物騒ですね。しかし少し、お付き合いください。
さて、これは本当に「持って」いたのかな、と最近はよく考える。
「殺意を以って刺した」と表現することは、無理があるのか、ないのか。日本語を変えると「殺意を形にするべく刺した」のか、「殺意から刺した」のか、という感じの崩し方になるのかな。この例文を書いた時、「殺意によって刺した」と書こうとして、躊躇ってしまった。この「殺意によって刺した」も、ただ「殺意に動かされた」という「よって」と、「殺意に基づいて差した」という感じの「拠って」という二つがありそうな気がする。
ここまですごく物騒なことを書いてきたけど、日本語表現は同じ音で、ささやかな違いしかない、むしろ同一化されてもおかしくない表現がこうしてあるわけで、明るい方面で言えば「好意」と「厚意」も似た感じかもしれない。「○○様のゴコウイで」とか言われると、すぐには好意と厚意、どちらか判断に迷う。先に書いた「モツ」も、落語みたいなもので、「このお話をモちまして、本日は終幕とさせていただきます」(などと言うかは不勉強で知らないので捏造です)と言ったりしたら、そのお話を「以て」か「持って」かは分かりづらい。
小説とか活字の強いところは漢字を開いてしまえばいい、というカードを切れることで、わからなければ全部ひらがなでも通用しなくはない。
これは笑い話にできそうな初歩的な勘違いですが、商売などで繁忙期で儲けられる時のことを「かきいれどき」というのですが、これは次々やってくる客が払うお金を「懐に掻き入れる」というのもイメージできるけれど、実際には儲けた分、帳簿に記入していくイメージの「書き入れ時」です。
日本語はどうにも同じ音の言葉が多すぎるし、もはや使いこなせない。最近では滅多に聞かないのは「介抱」ではないかな。これはよくあるパターンは酔っ払って動けない人を手助けした時とかに「介抱した」というけれど、どこかで「開放」とか「解放」が脳裏に浮かんで、まぁ、何かから解き放ってあげる感じでもあるし、「介抱」という曖昧でわかりづらい認識をわざと使う理由もないのかも。そもそも「介抱」が何を示すか、謎になってしまった。僕は一度、道端で老人が倒れて、まさしく「介抱」したけど、やったことは意識がはっきりしてるか確認して、家がそばか確認して、動けるか確認した感じだった。まぁ、これは「解放」とか「開放」とは程遠かったか。
最近まで剣術で斬り合う話を書いていたので、「以て」を意図的に何度か使った。「これを以って」という感じで、「これを持って」=「これによって」ではなく、「これにて」みたいな使い方をした。意外に僕が「以て」を好きなだけかもしれないけど、ちょっとした違いで雰囲気が出せるので、心地いい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます