第111話 「からくりサーカス」で気づいた読者の引き付け方
僕の中での名作の漫画に、藤田和日郎さんの「からくりサーカス」があります。
さて、この作品を途中まで読むとして、どんな作品と見えるだろう? と考えると、興味深い。
最初しか知らないと、人形使いの女と拳法を使う男が少年を助ける、となる。
その次に行くと、少年の成長物語になる。
さらに次は、不死らしい奇妙な連中が世界の裏側で戦っているとなる。
その次は、実は遥か昔にあった恋愛と錬金術が起こした悲劇がある。
さらにさらに、といろんな要素で話は展開するのだけど、これってつまり、読者は最初の段階だと、「しろがね」とは何か、とか、そもそも何故、マリオネットが存在するかとか、何も知らないし、世界の危機とか、長い長い因縁とか、何も知らないけど、楽しく読めるように作られている。そしてどこまで読んだかで、作品へのイメージがまるで変わる。だって最初しか知らない人に、しろがねが無感情なのはあの人形が……、とか言ってもちんぷんかんぷんですよ。
僕が物語を創作する時は、出来るだけ、明かせる設定は早めに明かす、という姿勢を守ろうとしているのだけど、「からくりサーカス」のような、次々と状況が展開して、どんどん派手になっていくのは、凄いことだとしみじみ思う。仮に世界観や設定がガチガチにあって、物語の筋道が見えていても、実際の形にするのは至難。作家の腕力が本当に必要になる。
それにしても「からくりサーカス」は作品の印象が変わっていくのは、鮮やかだし、本当に作家力、という感じだなぁ。あまりネタバレしてもいけないけど、終盤の頭で鳴海が闇落ちみたいになるけど、そんなん、冒頭じゃ想像つかん。それを言ったら勝が成長して、覚醒したりするのも、想像がつかないのだけど。ギィ先生の最期も。ルシールの最期も。まぁ、そこまで行っちゃうと、パンタローネとかアルレッキーノとかも、感動するんだけどさぁ。
作品を走らせていくとなると、どんどん新しい要素を出していくことになるけど、ほんと、作家力ってあるよなぁ。作品世界の構築、ストーリーの構築、と言ってしまうと簡単だけど、実はどちらも「先が見えて」いないと出来ないというか。書きながら先を考えることとか、細部を考えることもままあるけど、とにかく「からくりサーカス」はそういう創作論、創作手法を考えさせられる。一部でも、断片でも、学びたい。
前にもどこかで書いたけど、大きなパートで好きなのは江戸時代編で、小さなパートで好きなのは「真夜中のサーカス」編で、鳴海がメリーゴーランドの自動人形と戦うシーンです。(という、すごいネタバレ。未読の方、すみません)
こんなことを書いているのは、たまたまラジオNIKKEI第二、「Rani Music」という局で、BUMP OF CHICKENの「月虹」を聞いたからで、この曲がアニメ版のテーマ曲だったからです。この曲は本当に「からくりサーカス」って感じで、しっくりくる。最近ではあまりアニメを見なくなってしまったけど、アニソンシンガーでも、声優さんが歌うでもなく、普通のアーティストが提供したアニメの曲では、ここ数年で随一の出来栄えでは。次点を挙げるなら、Official髭男dismの「FIRE GROUND」ですね。
いやはや、また読み返したいなぁ。全巻が手元にあるけど、そばにはない。愛蔵版でも揃えようかな。
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