第90話 めちゃくちゃマイナーな音楽からの示唆

えーっと、どこから説明したらいいか。

10年以上前、「トリニティ・ブラッド」というライトノベルがありまして、作者が吉田直さんというのですが、この人がいきなり、インターネット配信のラジオにゲストで出る、となったのです。文化放送系列で、番組名は「スパラジ」。パーソナリティの一人は声優の浅野真澄さんで、この人は前から知ってたのですが、もう一人は、鷲崎健さんという方。これが僕が鷲崎さんを知ったきっかけでした。

「スパラジ」はすぐに地上波生放送の「アニスパ!」という番組に昇格して、鷲崎さんは他にもラジオに出たりして、今は超A&G+という配信サイトで深夜に「鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイト」という生放送番組をやってます。

さて、この通称ヨナヨナの水曜日アシスタントが青木佑磨さんという方で、いきなりこの番組で起用されて、ネット配信番組では冠番組も出来て、遅れてきたルーキー、しかもゴールデンルーキーなのですが、この人がやってるバンドが「学園祭学園」です。

だいぶ前にも触れましたが、最近、頻繁にアルバム「ユートピアだより」を聞き直して、その中でも「嘘」という曲の歌詞が本当にいい歌詞。

この曲は演劇の舞台のために書かれたようですが、僕たちが生きていく中で、例えば映画を見に行ったり、ライブを見に行ったり、もっと踏み込めば恋人と会うとか、どこか遠出するとか、そういう瞬間ってある種の「非日常性」なんですよね。つまりそういう演劇を見ている自分がいて、でも次の日になって朝起きたら、支度して満員電車に乗って会社に行って働いてクタクタで帰ってきて、となる。

演劇と表現してもいいし、創作と表現してもいいのですが、そういう「嘘」は、「現実」とはかけ離れたと言ってもいい美しさとか楽しさとかを持っていて、でも「現実」を変えることはできなくて、じゃあ「嘘」は本当に嘘で、無意味なのかというと、そうではない、と思う。

僕たちは生きていく中で、どこかで「嘘」を求めるし、「嘘」を「嘘」として受け入れることもできる。それって、共犯者みたいなもので、ならいっそ、みんなで同じ「嘘」を受け入れた方が面白いし、救いがあると思う。誰かが「嘘」を演じているなら、僕たちが「嘘」を信じれば、僕たちも舞台に立っているようなものではないか。

僕たちは歌詞にあるように「嘘の狭間」に生きているわけで、「現実」だけでは生きられない。そもそも「現実」だけで世の中や人生が構成されているわけでもないのかもしれない。

それに、僕たちは誰かの「嘘」を引き受けて、変な踊りでも、見苦しくても、「嘘」を演じ続ける義務があると思う。

本当に人が楽しむのは、「嘘」なんじゃないか。

そんなことをつらつらと考えてました。意味もなく、散漫に。

創作なんてみんな嘘ですよ。誰も本気で信じちゃいない。でも、俺は信じてる、俺はその創作が好きだ、と、本気で嘘を信じたら、何かが出来上がるんじゃないかな。

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