第88話 神様に制止された可能性
ハードカバーでどうしても欲しい本が発売になったはずで、しかし書店の店頭にない。本当に狭い店なので、普通に入荷しなかったのですが、僕はどうやら神様に制止されたのでは? と思ってる(半分は冗談で。半分……?)
というのも、小銭をどうしても使いたくて、1900円の本を500円玉二枚と100円玉九枚で買うつもりだった。流石に店員さんも嫌だろうな、と思ったけど、僕は勝手に奮起して、もうぶつけてやれ! と財布に大量の小銭を入れて書店へ行ったのでした。
まぁ、こうなってみるとやはり無謀かな、と思う。しかしどうしても小銭を消費したい。900円はさすがに100円玉九枚で許されるとして、1000円を500円玉二枚はやりすぎだろうか。100円玉を出来るだけ早く手元から減らしたくて、悪あがきとしてSuicaを手に入れて(Suicaをまだ持ってないとは、原始人か?)、そこに100円玉でチャージする、というやり方はあるけど(たぶん。よく知らない)、結局はSuicaを使う場面がほとんどないと思うので、やりづらい。
ハードカバーというのが難題で、文庫本なら100円玉で払える。というかこの前、880円の文庫を100円玉九枚で買った。いや、その後に、中古のCDを買う時、3000円の支払いを500円玉六枚で支払ったな……。なんか、後ろめたくなる消費活動だ……。
もう大昔の話だけど、これが10円玉でいっぱいになったら50万円! みたいな貯金箱のシリーズが話題になったけど、小銭が何百枚もあると、自分で数えるのも大変だし、銀行とか郵便局に持って行くのに勇気がいるし、お勧めできないですね。
しかし、この書店での小銭での会計が不発に終わったのは、無神論者だし、不信心な僕でも、何かの存在を感じる。何か大きな意図みたいなものが、信仰とか主義を超えて存在する辺りに、人間が「神」と呼ぶ存在を無の中に見出す原理がありそう。ただ単に本が店頭になかっただけなのに、大きなものが見える。では仮に、本を予約注文してあったら、この「神」は見えないのか、というと、ぶっちゃけ、見えない。ただ人間が生きている中では、この神様の幻覚を見る場面が印象に残るだけで、幻覚が発生しなかった時はただの日常として処理されるらしい。
だから、仮に本を予約注文して、実物が目の前にあって、それを大量の小銭で会計した時、もし店員さんが嫌そうな顔や雰囲気を見せると、僕はあるいは神様が僕を見放したと思うかも知れない。そうして逆説的に神様を見た時に、本当は人間のうちや人間同士の中にある正義と悪みたいな感覚に、神様の存在を寄り添わせて、ことが重大になるのかも。神様が許さない、とか、そういうのって単純に、俺が許さない、というだけなんだよなぁ。
だからなんだ、といえば、悪いことをせずに済んだかもなぁ、と胸を撫で下ろした、というだけのことです。そして小銭は手元にまだあり、本は手に入っていない。
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