第64話 ゲームを盛り込むと途端に描写が難解なことについて
最近、将棋に打ち込んでいるので、将棋を題材にした短編でも書くか、とも思ったのですが、棋譜をどうするか、というのが大問題になる。あと定跡も難しい。
将棋を知ってる人ならともかく、普通の人は棋譜を読めない。僕も将棋はともかく、チェスは駒の動きは知ってても、棋譜は読めない。僕は小学生から将棋で遊んでたけど、大人になるまで無理だった。定跡もよく知らないし、囲いとかも矢倉囲いくらいしか分からない。
創作としてリアリティを出すには、そのゲームの場面を外せないけれど、将棋やチェスの場合、形勢というものをうまく描写しないといけないし、そもそも盤上で何が起こってるかは描写する必要があって、これは欠かせない。では、何も知らない人にどう教えればいいのか。
将棋に関しては、現代的な描写で事足りるようにはなったかな、とは思いますね。つまり、盤を挟んで向かい合う二人とは別に、誰かがその対局を人工知能に解析させている、とすれば、数値で有利不利が描写できるし、対局者が指した手が最善手なのか悪手なのかも、人工知能が見ている次の一手との比較で描写できる。
しかしそこまで行ってしまうと、ゲーム世界が舞台のファンタジーと大差なくなってしまうかな、とも感じる。もちろん、現実の将棋にはチートとか、裏技はないし、あるのはミスをするかしないか、より小さなミスでやり過ごせるか、相手のミスを咎められるか、ということで、非常に現実的なんだけど、人工知能が3000点も有利にしてたのに、一手で逆転して敗勢、とかなってくると、それはもうファンタジーでは? いや、現実なんだけど、ファンタジーみたいな現実というか。創作はみんなファンタジーとはいえ、どこかに何か、現実にだけある動かし難いもの、を残してあげたい、と僕は思うんですが、余計な発想でしょうか。
物語の中に棋譜を盛り込むのはすごいリアルで、僕の願望を満たすのですが、僕自身、知識も何も足りなくて、本当の愛好者を満足させる高いレベルの棋譜を一から作れる気がしない。こうなると将棋を取り込むと、文章力や構成力よりも、題材を適切に扱う力量が求められる、という側面が表に出てきて、創作にもそういう要素があるのか、とやや怖くなった。
テキトー科学でSFとか、書いてるからなぁ。
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