第63話 心地いい音ってこういうこと
かなり前にテレビでRin音さんの「snow jam」という曲を聞いて、その時はあまり心に引っ掛からなくて、「こんな歌が流行ってるのか」という程度だった。
それがたまたまラジオで聞いてみると、実はすごく心地いい、馴染む音楽だと急に気づいた。何がそんなに自然に受け入れられる理由なのか、それは分からないのだけど、寄り添うように耳に入ってくる。歌詞の意味とか、メロディとか、何も考えずに聞いていて、不思議と落ち着く。
たまにそういう心地いい音楽に出会うけど、自分が自分を振り返って、こういう音楽が好きだ、と思っているジャンルとかテイストとは、少しずれていることがままある。すぐ浮かぶのは、フィロソフィーのダンスで、「ライブ・ライフ」とか「ダンス・ファウンダー」が好きだと思っていたのが、よく聞いていくと「スピーチ」とか「シャル・ウィ・スタート」とかの方がしっくりくる。その時の気持ちもあるんだろうけど、なんというか、もっとまわりからの視線や評価が影響するのかも。こういう音楽が好きな人間でいたい、という願望がきっとどこかにあって、それって、周りから評価される音楽が好きな人間でいたい、という欲求なんじゃないか。
本当に心地いいものは、自分で見つけるしかないし、自分じゃないとわからない。血反吐を吐くほど働きたい人もいれば、働きたくない人もいる。金を唸るほど持って安心していたい人もいれば、宵越しの金は持たないような人もいる。その中で、他人、というものが有無を言わせずに関わってきちゃうのが社会だけど、社会がなくても生きていけるといえば、生きていける。
心地いいっていう感覚は、他にどこにあるかといえば、たまに会う友達と話していると、心地いいかな。家が近所でもなく、同じ場所で働いているわけでもなく、趣味で繋がっているようなもので、よく考えると社会という括り方が起こらないんだよなぁ。特に深い話もしないし、お互いの生活とかに干渉する理由もないし、他人だから、より自然でいられる。社会よりも身近で、しかし無責任にやりとりできるし、守るものが少なくて済む。そしてやっぱり、見栄を張らなくていい。
創作において、何かを伝える、訴えることはある側面では必要だし、受け手を驚かせたり、唸らせたり、魅了することは必要なことですが、受け手の中には、それが煩わしい人もいるし、ただ受け流すように何かを浴びて、何も考えずに、何も受け取らずに、ただ消費する人がいる。消費がいいか悪いかは議論がつきませんが、消費されるだけの存在も、全く無用じゃないな、と思った。
しかし「snow jam」は良いぞ。
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