第62話 歌詞に見る、不意に差す光

僕はここ数年、乃木坂46から秋元康さんの歌詞世界に深く深く、入り込んでいます。これは秋元康さんに限定されないのですが、歌詞というのは、当たり前のことを、新しい言葉で照らし出す側面がある。

2021年の頭に発売された乃木坂46の「僕は僕を好きになる」の歌詞も素晴らしい。二番の歌詞の「死にたい理由ってこんなに些細なことだったのか」という部分が、僕には新しい光に見えた。死にたい理由はあるんだけど、それを本当に突き詰めて、理由を言葉、文字に置き換えてみると、実際、些細なことになってしまう。何かしらを、思い込むこと、自分で自分を追い詰めることが、「僕は僕を好きになる」における、やめるべきこと、否定したいことの一つなんでしょう。

秋元康さんは特に、この光を当てる手法が巧みで、それは全てに及んでいるように思う。それが例えば、恋愛に関して描写すると、同じようなことを言葉を変えて歌っている、となるように見える部分もあるけど、実際には逆で、人間の考えることはむしろ、みんな同じなんじゃないか。みんな同じような家に住み、同じような食事をし、同じような教育を受け、同じような生活をすれば、自然と同じことになる。同じ世界の、同じ時代の、同じ時間を生きてもいる。歌詞の世界はまさに、人間の世界や心を描写するがために、人間の世界の限られた要素を描くしかない、となるのでは。そうなってしまうと、同じものに、違う角度から光を当て、光を強くしたり弱くしたりして、たまには色も変えて、そうして、新しい歌詞世界を生み出すことになる。

僕は新しい歌詞世界に飢えているけど、一方で、同じものしかない、とも思っている。その同じものをいかにして、描写し直すか、が、ここのところの僕の興味の対象です。それを一番、満足させてくれるのが、秋元康さん、かな、ということですね。

世界は無限に広がって、精神世界も無限で、未来は果てなく、時間は尽きることはない、としても、僕たちが生きている世界も精神も未来も時間も、実は限られている。その限られた全てが、様々な色や角度、明暗で塗り替えられたりした時に、本当は有限のはずのものが、無限のように見える。不意に差す光でさえも、当たり前、決まりきったことを、瞬間的に全く新しいものにする、と思える。

歌詞に一番、そういう有限と無限の交錯が現れるかな、と僕は感じています。

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