第61話 全てがツイてない日だった

今日はとにかく全てがうまくいかなくなる日だった。

将棋ウォーズでは3連敗、練習対局でもうまくいかず、ジョギング中ではなく家でしゃがんだ瞬間に膝に痛みが走って消えなくなり、カクヨムでも毎日更新の作品の更新を忘れているのに気づき、とにかく嫌なことが重なった。厳しすぎるほど、不運、落胆ばかりだった。

こういう日がたまにあるけど、どうやってやり過ごせばいいか、ずっとわからない。寝逃げ、って言葉はあまり好きじゃないけど、そうするしかない。ただ、将棋もジョギングもカクヨムも、全部、明日も続けなくちゃいけないので、明日になっても引きずると思うんだよなぁ。何もかもを放り出すと、今度は放り出したことを後悔して、また悩む。とにかくこの悩みは、終わることがない。

僕の好きな言葉、というか、身につまされる言葉で、村山聖さんの「勝つも地獄、負けるも地獄」という言葉があるけど、全てがそうなんだよなぁ。続けていくことも苦しすぎるくらいに苦しいけど、やめてしまうと今度はやめてしまった自分に苦しむ。続けても終わりはないから、延々と苦しみ続ける。やめても、最初に始めてしまったこと、何かを決めたことは消せないので、延々と、自分はやめた、投げ出した、という事実に苦しみ続ける。

楽になりたい、とは常に考えていることだけど、僕はどうやら考えすぎるらしい。どこをどう探しても、僕が楽になれる道はない。今度はどうして僕は楽になれないのか、それを考えるし、少しでも楽になりたいとも考えるし、本当に道がないのか、破滅しても道はないのか、ということまで考え始める。そこまで行くと、つまり生きていること自体が不自然、となってしまう。

こういうことまで考えるのが、ツイてない日の最大の難しさで、何も起きないような平坦な日なら、余計なことは何も考えずに済むし、不安になったり、怯えたり、悩んだり、苦しんだり、しないで済む。

不思議な話だけど、本当に大昔の、江戸時代くらいの農民になれば、激しい肉体労働とか、年貢とかで苦しむことはあっても、淡々と、仕事を続ければ良い、何も考えずに流されるように生きれば良い、となるような気もして、現代人の不自然さがあるような気もする。しかし、僕は現代を生きているし、ただ耐えていくしかない。

何も安定しない、苦悩ばかりの日々だなぁ。

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