第60話 漢の戦いに勝敗はない
もりもりと北方謙三さんの「岳飛伝」を読んでるのですが、ちょうど読んでいる部分で金国と南宋の戦争のシーンで、勝敗がつかない、という場面があった。これが、金軍のウジュという将軍と、南宋の指揮官の岳飛の、ほとんど私闘と化すんだけど、お互いに引かずに、切ったり切られたりして、最後の最後、もうお互いに(国力が疲弊したりして)戦えないとなり、お互いに軍を引くことになる。
これを読んでいて感じたのは、ライトノベル界隈のストーリー展開で、勧善懲悪よりも大きな枠組みで、何らかの形で勝敗をつけないといけない、みたいなのは、実は不自由なイメージで、勝敗がつかない、という発想があってもいいのではないか、と思いついた。これは恋愛にも言えそうだけど、恋が成就するか、しないか、その結果でどうなるか、は描けるけど、恋愛小説で、どちらも思いを伝えない、という選択が、一つの展開として、ありそうではある。ただ、何が面白いかはわからない。駆け引きは楽しそうではあるけど。それはそうと、この、何が面白いかわからない、と考える僕の頭が、「面白い」の「型」をガチガチに頭の中で決めつけている、ということがありそう、だとも、ふと思ったりした。
戦闘シーンもそうだけど、目の前の戦いや敵に勝てばいいし、負けても生き延びて次に勝てばいい、という風に展開して、つまり、「勝ち」か「負け」しか起点、中継点がない。勝ちでも負けでもない、それも後ろ向きではない決着が、何か新鮮なものを含んでいるような気がする、というのが今の僕の心情です。
もっと言えば、「成功」でも「失敗」でもない、ありふれた日常に落ち着くのは、創作、エンタメとしては下の下なのかもしれないけど、実際的な我々の生活とか人生で、ものすごい失敗はあるかもしれないけど、ものすごい成功なんて滅多にない。宝くじで何億円も手に入れることもないし、幼少期から天才で世界を変えたり、超一流のアスリートで世界記録を塗り替えるとか、巨大な陰謀に立ち向かうとか、やっぱりありえない。だからこそ、創作やエンタメでは、遥か高みを飛ぶ鳥を仰ぎ見たい、という気持ちになるのははっきりわかる。ただ、「地を這う草木も根を張る努力をしている」、じゃないですけど、鳥を仰ぎ見る自分が立っている大地をよく見ることも、案外、面白いんじゃないかな。
なんか、新しい話を書きたくなったなー。
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