第54話 文化からの脱落、がぼんやり見える
祖母は既に90歳を超えているのですが、観察していると極端に趣味が少ない。音楽を聞くようではないし、小説を読むとかでもない。テレビはその時にやってるものを見て、ラジオも特にこだわりはなさそう。服は大抵は同じもの。
例えば歳をとると運動はできなくなるし、旅行もできない。映画館にも行けないかもしれない。そもそもいつの間にか現代から取り残されて、現代の文化に入り込めない側面がありそう。
ただ、自分の親を見ると、間違いなく「趣味」がある。僕にも多くの「趣味」がある。これってもしかして、太平洋戦争後に一時的に文化的活動が停滞したか、もしくはそれ以降にだいぶ経ってやっと日本の世間、社会に「趣味」を持つ生活的なゆとりが生まれたのかな、と思い始めた。
この豊かさが祖母のテレビの使い方を見てるとよくわかる。それは限られたチャンネル、9つ程度の中から、今やっているものを見る以外ない。しかし今の若者はインターネットを駆使して、果てしない数のチャンネルから、見たいものを選んで見ることができる。「趣味」とか「文化」って、選択性が実は大きな意味を持つんじゃないかな。
この選択性の枠組みを取っ払ったのが動画配信サイトだったし、ネット小説だったように見える。それは「自分が受け取るものが選べる」を超えた、「自分が自由に発信できる」という要素で、文化を楽しむ、趣味を楽しむ、が、文化に相乗りする、趣味を発表する、ということが本当に簡単になった。元から短歌や俳句とかで地域での集まりはあっても、ネットがあれば日本中にそれを簡単に提示できる。
科学技術がここまで文化を変えていくとなると、僕がもしかしたら90まで生きて、やっぱり文化の変化についていけなくて、CDとかKindleとかで、余生を送るのかなぁ。その頃には老人にも楽しみが提供される世界であって欲しい。
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