第53話 作中で「時間」をいかに取り込むか
何度も書いてますが、今、北方謙三さんの「岳飛伝」を読んでいて、作中の時間の流れが非情なほどに作り込まれていて、怖くなる。「水滸伝」の一番始めで若者だった史進が、今はもう白髪なんか生えちゃったりするし、張朔、王貴、王清、宣凱なんて、「水滸伝」の作中で生を受けて、「岳飛伝」の頭でちょうどいい具合の若者です。
僕がこの設定に触れて感じるのは、ちょっと変なアニメを観すぎたかな、という事です。本当はアニメには限らないのですが、創作の中で時間が流れない、流れたとしても極端に遅い、ということなんですが、これをどうにか逆手にとれば、面白い創作が作れるかも、とも思う。
僕の中で一つのテーマにしたいと思っているのが「成長」なんですが、これを描くために「訓練」、「負傷」を取り込んで、実験的に「世代交代」を取り入れたりもする、というのがここ数年の僕の構想の傾向です。これはネット小説に手を伸ばして、やっと出来るようになりました。そもそも公募だとおおよそ10万字で完結させて、続編の可能性なんて加味されるわけがないので、作中の時間を短く設定する必要がある。ネット小説だと構想の全てを気力と根気さえあれば形にして発表できるので、特に「世代交代」は描きやすいですね。
大昔に三世代が登場する10万字程度のものを書きましたが、元の発想は桜庭一樹さんの「赤朽葉家の伝説」で、当時の僕はこれがユニークに感じた。桜庭一樹さんは時間の流れをはっきり描く気がしますね。「ファミリーポートレイト」も、「GOSICK」シリーズも時間が流れていく。しかし、そう、実は大抵の小説が時間を取り込んでいて、森博嗣さんの「すべてがFになる」から始まるストーリーでも、西之園くんが学生じゃなくなったり、犀川先生が結婚したりするわけだし、米澤穂信さんの「古典部」シリーズも否応なしに作中の時間は流れている。つまりこれは、作中の時間をうまく扱えないのが、アマチュア、ということなのかな……。もっとも、荒木飛呂彦さんの「ジョジョの奇妙な冒険」では、第二部の後に第三部になったらジョセフがおじいちゃんになってるのに、第三部、第四部、第六部と時間が進んでも、承太郎はほとんど変化しない。第三部と第六部の間で娘が立派に成長してるのに、何故だ……?
何はともあれ、次に書くものは、本気で「時間」をテーマにしようかな。
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