第46話 「個人」という概念はあるのか、それともないのか
親戚に双子がいて、もういい大人ですが、それでも大変そうだな、と感じる場面は多くある。どうしても二人セットで扱われて、色々な場面で比較される。それも他人からではなく、親戚からもそういう目で見られる傾向があって、僕の方が何故か心苦しくなる。
そもそも、双子に限らず、兄弟も比較されるし、場合によっては親子も比較される。でも、そんなのただ血が近いだけで、本当は全く別の人間、純粋な「個」なんだけど、どうしてかそこまで割り切ろうとしない視点が世の中にはある。
というか、比較し始めたらキリがないと思う、と僕は考えてます。例えば弟が年収3000万で兄がフリーターだと何かおかしいか?例えば父親が大学教授でその息子が中卒だとおかしいか?妹が結婚して、その姉が未婚だと問題が生じるか?
どこまで行っても「個人」の集まりが「社会」のはずなのに、社会の中での個人、という視点で評価されて、あれこれ言われるのは、僕には解せない。誰かに評価される生き方、誰かに後ろ指を指されない生き方をしろ、というのは真っ当な意見だけど、では、「どうしたら評価されるの?」と問い返してみると、そんなことはわからない、とか、自分で考えろ、とか、そんな言葉しか浮かばないのが、どこか救いがない。
「自分はこれでいい」と思っているか、「自分はこうなりたい」と誰もが心の中で思っているはずなのに、周りのことを考えると、その純粋さ、ひたむきさが失われるような気がするけど、それは僕が弱すぎるせいかな。周りに合わせて生きられないのは、間違いなく僕の弱さだとは感じてはいるのですが。
極論を言えば、誰にどう思われてもいい、と思っている人間が一番強いし、幸せなんだろうな。それは評価を否定して、遠回しに「社会」を否定しているんだろうけど。
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