第36話 攻殻機動隊じみた世界観
創作の話ではなく、現実の話です。
知ってる人は知っている、みたいなエピソードですが、押井守監督の「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」の最初に、「国家や民族が無くならない程度に情報化された社会」みたいな文言が出てくる。これが僕が初めて見た2000年くらいの感覚でも、未来になれば、国家も民族も無くなるのかもしれん!と思えるほどの説得力があって、事実、二十年くらいで、ゆっくりとはいえ、たしかに情報化は進みました。
それはそうと、新型コロナの対応が、面白い事実として、各都道府県の単位で感染者が集計されたり、もっと言えば、市町村単位で集計されることもある、という要素があります。それは確かに、どこかで基準を作ったり、ニュースを見る人が自分の周りの状況を把握するために、都道府県とか市町村で区切る必要はあります。
さて、例えばどこかの県が本当に医療崩壊したら、どこかの段階でその県の感染者を別の余裕のある県に移送するかもしれない。それが集計云々ではなく、例えばA県からB県に10人を移したとして、その後、B県の患者が多く出て、病床が確保できないがために入院できずに亡くなったB県の人が出たら、A県からの受け入れは間違いだった、とおそらく影に日向に、議論されると思う。
そうなると、A県がどうなろうと、B県さえ安泰ならいい、という主張が出現するように見えるわけです。情報化とは別の要素ですが、日本の国内が今回の件で、マクロな視点では都道府県で分断され、ミクロな視点になると市町村や、もっと小さい範囲で分断されているようにも見えてくる。
自分の安全、家族の安全、知り合いの安全、地域の安全、というところまでは思い描けても、市町村の安全、都道府県の安全、国の安全が大局的に把握できないのが、まだ社会により社会が本当には統一されてない、ということだと思えますが、統一が絶対ではないのも事実です。この統一が、自然と、そして必然的に起こるのが「攻殻機動隊」における近未来の情報化社会なのかもなぁ、と不意に気づいたのでした。
それにしても、士郎政宗さんは未来から来たのか?
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