#4 夜宵と不思議な枕の話
「そういえば今日、漫画の発売日だったなあ」
勉強がひと段落ついたところで夜宵は唐突にそう吐き出した。
「へえ、買いに行くのか?」
「うん、行きたいなって。ヒナも一緒に来る?」
「ああ行くよ。そもそも俺は客人だからな。留守番させられるのは居心地が悪い」
そんな会話をしつつ、出かける準備をする。
「あら、二人ともお出かけ? お夕飯までに帰ってくるのよ」
おばさんのそんな言葉に見送られ、俺達は家を出た。
「うへえ、やっぱ外は暑いね」
「ああ、家の中は冷房が効いてたからな」
げんなりとした様子の夜宵に俺は相槌を打つ。
七月の東京の暑さはやはり馬鹿にできない。
「ところでさっきの話、ヒナはお客さんって言ったじゃん」
「ああ、それがどうした?」
歩きながら俺達は会話をする。
内容は他愛もない雑談だ。
「うん、考えたんだけどヒナはお客さんなんだから、私はおもてなしをするべきだよねって」
「ほう、何をしてくれるんだ」
そう問い返すと、夜宵は難しい顔をして悩み出す。
「うーん、なんだろね。そこは何も考えてないんだけど」
「一般論としては料理とかじゃないかなー。まあ夕飯の準備ならさっきおばさんがしてたけど」
家に出る前、台所で何やら仕込みをしていた夜宵のお母さんのことを思い出す。
「そうだねー。私、料理は全然やったことないからなー」
夜宵が遠い目をする。が、すぐに視線を俺に戻しながら言った。
「そういえば、ヒナはお料理得意そうだよね。よくツイッターに作ったラーメンとかパスタとかの画像上げてるでしょ」
「ああ、そうそう。うちの両親、共働きで忙しいから料理とか家事の諸々は光流と分担してやってるんだよ」
「へー、偉いねー。よく考えたら私、家事とか全然やったことないや」
確かに、それで半年間引きこもり不登校してたんだから、なかなかに甘やかされてるよな、この子。
そんな会話をしているうちに目的地のショッピングモールに辿り着いた。
「あー生き返るー。やっぱ店の中は冷房効いてていいな。あっ、本屋って三階だっけ?」
「うん、そうだよ」
夜宵の答えをうけて、俺達はエスカレーターに乗って移動する。
そのタイミングでなんとなく会話が途切れてしまった。
すると彼女は落ち着かない様子で辺りをキョロキョロしだした。
そんな夜宵の意図を俺は察する。
彼女は元々コミュ障だ。他人から話しかけられるならまだしも、自分から話題を振るのを大の苦手としている。
そんな彼女だが、日々コミュ障克服の為に努力しているのだ。
きっと今も建物内の色んな店を見渡して話題にできそうなものを探しているのだろう。
ならば俺は夜宵の方から話しかけてくれるのを待つとしよう。
「あっ、ヒナ。あれ見てよ。あそこのお店に置いてある枕、可愛くない?」
「枕?」
三階に辿り着き、エスカレーターを下りたところで夜宵は目についた店を指差し、そちらに足を向ける。
俺も彼女の後をついていくと、そこは雑貨屋のようだった。
「これ! これ可愛くない?」
そこに並べられていた、ハート柄の枕を夜宵が手に取る。
「へえ、どれどれ――って」
その枕を見て、俺は言葉を失った。
「あっ、Yesって書いてあるね。裏面はNoってなってるー。なんだろこれ」
無邪気な顔で枕に書かれた文字を眺める夜宵。
そう、それは俗に言うイエスノー枕というやつであった。
枕を手に取りながら小首を傾げる彼女の様子を見るに、その意味までは知らないのだろう。
そんな夜宵が俺に話を振ってくる。
「ねっ、ヒナ。なんだろうねこの枕。何か意味があるのかな」
「あ、ああ、そうだなー」
いや、もうなんて答えればいいんだよこれ。
「表と裏で効能が違うとかね。表は頭痛に効いて、裏は肩こりに効くとかそんな感じなのかな?」
「いやー、そういう意味じゃないんじゃないか」
つい口を挟んでしまったが、俺はすぐに後悔する。
好奇心に満ちた夜宵の瞳がこちらを捉えたからだ。
「ひょっとしてヒナはこの枕の意味知ってるの? だったら教えて欲しいな」
いやああ、どうしよう。どう答えたらいいんだよ。めっちゃ困るわ。
「あー、まあそれは何というか。夜宵ちゃんにはまだ早いというか、ね。あれだよあれ」
「えー、なにそれー」
俺の煮え切らない答えに、夜宵は不服そうに口を尖らせる。
「ひょっとしてヒナ、私のこと子供扱いしてる? 同い年でしょ」
「いやね、そういうことじゃなくてね。説明が難しいんだよ」
「説明が?」
頭に疑問符を浮かべ、夜宵が改めて枕を見る。
そこで納得したように言葉を吐き出した。
「そっか、枕は寝るためのものだもんね。今は説明するのが難しくても、これを買って帰れば、今夜ベッドの上で教えてもらえるかな?」
夜宵ちゃん! 夜宵ちゃん! キミ今とんでもない爆弾発言をしてるよ! 自覚ある? 無いんだろうなあ。
夜宵はおこちゃまなのだ。狙って男を誘惑するような台詞を言うわけがない。
だから今の発言は完全に天然なのだろう。
しかし、ベッドの上でイエスノー枕の使い方を教えてなんて好きな女の子に言われるのは心臓に悪すぎる。
そう思っていた時、
「あれー、夜宵と太陽くんじゃん」
聞き慣れた声が俺達の耳に飛び込んできた。
そちらに目を向ければ、私服姿の少女が嬉々とした様子でこっちに歩いてくるところだった。
上品な黒のフリルリボンで両サイドの髪を結わえたツインテールの少女だ。
夏らしい短い水色のスカートとノースリーブの白いブラウスは可愛さとセクシーさが同居し、彼女の魅力を一層引き出している。
一目見るだけで多くの男子を虜にするであろう美少女スマイルを振り撒きながら、その少女は話しかけてきた。
「こんなところで奇遇ね。二人もお買い物?」
俺と夜宵のクラスメイトにして、コミュ障の夜宵が自然体で話せる数少ない友人の一人である。
彼女の視線が夜宵の抱える枕に留まる。
「夜宵ー! なにこれ可愛い枕ね」
「えっ、あっ、うん。水零もそう思う?」
俺との会話を中断されて戸惑いながらも、夜宵の会話の相手が水零に移る。
水零にあの枕を見せたら、嫌な予感しかしないんだが。
「きゃー、イエスノー枕だって! 夜宵ったら、だいたーん!」
夜宵から枕を受け取った水零は、楽しそうにそう吐き出す。
そして俺の方を見つめながら、枕で顔の下半分を隠しつつ、イエスの面を見せつけてきた。
「太陽くんが相手なら私はいつでもどこでもイエスだからねー。両面イエス枕でもいいくらい」
うぐっ、そうやってまた男を手玉に取るような発言をするんだからこいつは。
そこに夜宵が不思議そうな顔で言葉を挟んだ。
「水零はこの枕の意味って知ってるの?」
「うん。あっ、夜宵はもしかして知らないの?」
水零が悪戯っぽくクスリと笑う。
そうして枕のYesと書かれた部分を指でつっつきながら、夜宵に優しく告げた。
「これはね、夜這いしてオッケーって意味よ」
「よばっ!」
よっぽど予想外だったのだろう、夜宵の顔が一瞬で真っ赤になり、言葉を失う。
「夜宵ってば、知らないでこの枕買ってたら、今夜太陽くんに襲われてたかもねー」
「えっ、えっ、そんな、そんなことない、よね?」
夜宵の視線が俺と水零の間で揺れ、最後に俺に同意を求める。
うう、気まずい。なんて声をかければいいんだよ。
一方で散々俺達をからかって満足した様子の水零は、夜宵に枕を返しながら上機嫌に言葉を吐き出した。
「じょーだんよ。冗談。別に夜宵と太陽くんが一緒の家で暮らしてるわけじゃあるまいし、襲うチャンスなんて普通ないでしょ」
なんと実は今日から俺は夜宵の家にお泊りです! しかも夜は夜宵の両親がいなくて二人っきり! 二人っきりです! 襲うチャンスはいくらでもあります!
なんてことを水零には絶対知られるわけにはいかない。
一方の夜宵は、水零の台詞を聞いて赤面し、顔を俯かせてしまった。
今夜から一つ屋根の下で俺と二人っきりという事実と、水零の言った襲われるという言葉を意識してしまったのだろう。
「あっ、私もう帰らないと。じゃあねー太陽くん! 夜宵ばっかりじゃなくて今度私とも遊んでね」
「はいはい。その時は付き合ってやるよ」
俺と夜宵の気まずそうな空気を見て満足げに笑うと、水零は手を振りながらその場を去り、エスカレーターを降りて行った。
そうして残された夜宵と改めて向き合う。
彼女はイエスノー枕を陳列棚に戻し、上目遣いで俺の顔を窺ってきた。
「あ、あの、ごめんねヒナ。さっきは、その、答えづらいこと聞いちゃって」
「あ、ああ、いや、気にするな」
気まずい。とても気まずくてお互いに会話がぎこちなくなってしまう。
「あの、それでね、さっきのことも、その、忘れてもらえるとありがたいなーって」
「さっきのことって?」
俺が問い返すと夜宵は恥ずかしそうに視線を横に逸らす。
「あの、枕の使い方を、今夜ベッドの上で教えてって言ったの、なかったことにして欲しいなって。
その、ね。そんなつもりじゃなかったんだけど、我ながらとんでもないこと言ってたなーって今になって気付いちゃってさ」
「ああ、流石にあの時はどうしようかと思ったよ」
そう答えると夜宵が狼狽しだした。
「ど、どどどど、どうしようかとって、どうもしないで欲しいのですが」
「い、いや、落ち着いてくれ夜宵。別にどうにかしようかという意味ではなくてな」
あー、もう気まずい気まずい。どうすりゃいいんだよこの空気。
とりあえず水零が全部悪いわ。水零のせいにしちゃおう。
話を逸らしたかったのは夜宵も同じなのだろう。
彼女は話題を切り替えてきた。
「あっ、そういえばさ。ヒナと水零って仲いいよね。どういう関係なの?」
「どういうって、中学の頃からの友達だよ」
夜宵と出会ったのは高校に上がってからだが、それ以前に俺と水零は中一からの知り合いだ。
だがそれは夜宵には初耳だったらしい。
「そうなんだ。なんか水零と距離が近い感じがしたからさ。もしかして、元カノとかなのかなーって」
そんな夜宵の台詞を聞いてドキリとする。
なんでそういうところは鋭いんだよ。
「そういうんじゃないから、変な邪推はやめろって。いいから本屋行こうぜ」
「あっ、そうだね」
なんとかそれ以上は深く追及されずに済んだ。
嘘は言っていない。
中学の頃の俺と水零は、付き合っていたわけじゃないんだ。
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