第3話

「妻の余命があと数ヶ月って、どういうことですか?」


 私は横にいる妻の肩を抱いて医者に問いかけた。


「奥さんですが、あちこちに癌が転移しており手の施しようがありません。薬で抑えるにしても若いので進行が早く、もって数ヶ月かと……」

「そんな……」


 医者の言葉に私は愕然とした。確かにここの所妻の調子は悪かった。妻は我慢強いから、もしかしたらもっと前から体調が悪かったのかもしれない。それに気付けなかったなんて……。


「あなた、痛いわ」


 私は知らない内に両手に力を込めて妻の肩を掴んでいた。


「ご、ごめん」


 私はすぐにパッと手を離すと、妻は震える私の手を掴んだ。


「帰って入院の準備をしないと。長期になるから大荷物になりそう」


 妻はまるでただの病気にかかったかのように振る舞う。

 医者に入院手続きとこれからの事を聞いた後、私達は家に戻った。


「自室にある貴重品を整理するから、あなたは生活用品の準備をお願い」

「分かった」


 私は妻に言われた通り、タオルや洗面用具などをかき集めた。ふと、それらを入れる鞄がないことに気付き、妻に聞こうと部屋の前に行きノックをしようとする。


「ふっ、うっ。どうして、どうして私が、こんなことに……」


 妻のすすり泣く声が微かに聞こえる。私は部屋に入るのを諦めて、リビングで親友に連絡する。


「……医者に妻が癌だと宣告された。もってあと数ヶ月だと」

「そうか。僕の事を認めてくれた唯一の人なのに……」


 親友も妻の容態にショックを受けていた。


「これからどうすればいいんだ」

「まず、彼女の前で泣き言は言わないことだな。それと出来る限り傍にいてやるんだ」

「それでいいのか?」

「今のは最低条件だ。絶対にこの条件を破らないこと」

「分かった。君に相談したおかげで少し楽になった」

「また何時でも呼べばいい。だって僕は君の親友だから」


 そう言って親友との連絡が切れた。

 私はいつの間にか溢れていた涙を拭い、深呼吸をしてから笑顔を作る。彼の言う通り妻をこれ以上悲しませない為に。

 妻の入院が始まり、上司に頼み込んで私は会社を早出して定時に上がり、毎日妻の病室へ通った。

 妻の好きな花や退屈しのぎの本などを買って笑顔で様子を見に行く。

 妻は大体1人でベッドの上にいる。たまに隣の患者と話していたが、私に気付くとすぐに会話を中断させて私を歓迎してくれた。


「あら、あなた。いらっしゃい」

「おしゃべりの邪魔をしてしまったかな?」

「構わないわ、ただの暇つぶしだもの。それに仲良くしても意味がないでしょう?」


 表情に影を落とす妻に私は胸を痛めたが、それを表に出さずにいつも通り振舞った。

 そんな日々が過ぎていき、医者が言っていた数ヶ月後に妻との別れが訪れた。


「あ、あなた……」

「苦しいなら喋るな!!」

「あい、し……る」


 妻はそう呟くと心電図から高い電子音が鳴る。

 医者と患者がすぐに応急処置をとるが、やがて医者は首を横に振る。


「まことに残念ですが、奥さんはもう……」


 それからの記憶が曖昧だ。

 後から来たお義母さん達と葬式の準備をし、自分が喪主を務めたらしい。ただ、どこか虚ろな状態で体だけが動いているようだったと参列した方々が口々に言っていたらしい。

 妻の葬式で唯一覚えているのは、眠っているかのように横たわる妻が火葬場で骨となった姿だった。その光景を見た事で、私は妻が二度とかえって来ないと思い知った。

 葬式が終わり、二人の思い出が詰まった家で私は閉じこもっていた。


「何時までそうしているつもりだ?」


 私の様子を見かねた親友が声を掛けてきた。


「ずっとこうしていたい。そしたら妻に会えるだろう?」


 腫らした目から涙を流して、しゃがれた声で返す。妻の死を自覚してから喉がつまり、涙は止め止めなく溢れてくる。考えることは妻のことばかりで、妻を想うと胸が締め付けられるが、その痛みを受け入れる。親友が話しかけるまで私の口からは妻の名前と自責の念を吐くことしか出来なかった。


「そんなに会いたいか?」

「もちろんだ」

「彼女は俺よりも大切か?」

「当たり前だ。私は妻のことを愛している。これからも変わらずずっと……」

「そうか。じゃあ、これでどうだ」


 親友がそう告げると朧気だった親友の姿が徐々にハッキリとした形を作る。


「あなた」


 いつも私にするように妻が微笑む。


「あ、ああ……」


 私はふらつく体で妻に近付き、その体を抱きしめた。

 そこから私は自分自身に嘘をついた。

 私は親友を妻と思い込み、妻の死を無かったことにした。

 料理や家事は自分で用意したのをあたかも妻が準備したと思い込んだ。

 親友は私の思い出にいる妻を演じてくれたが、専業主婦の妻のように家事が出来ない為、綻びが生じ今に至る。

 親友は家事をすることが出来ない。


 ──私の親友は唯一無二の空想の友人だから。


 スマホの電源を切り、力の抜けた手からゴトリと音を立てて床に落ちる。

 顔を隠す親友に私は首を横に振った。


「もういいよ。全て思い出したから……」


 私の言葉に親友は顔を拭い私に向かい合った。


「君を余計に苦しめた、すまない」

「私が望んだことだ。君のせいじゃない」


 親友は私に静かに問いかける。


「これからどうしたい?」

「私は──」


 私の願いに親友は大きく頷いた。

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