第2話 王子の指

 王様は、今日も、ゆりかごに寝かされている王子の頬をちょんちょんとつついていました。


「お昼寝中ですから、起こさないでくださいね」


 ちょっとだけ剣のあるお后様の声がかかりました。このところ、王子はよく動き回るようになって目が離せないのです。お后様はちょっとだけお疲れ気味で、今まできちんと結い上げられていた髪が数本ほつれて出ていることがあります。

 王様は、自分も子育てに参加したいと思うのですが、このところ忙しくてこの部屋に来るのもお昼休みの休憩時間だけになりました。世の中、上手くいかなものです。


 王様が忙しい理由の一つに、お祝いの会がありました。

 お祝いの会では、庭にはいるための入場券、大広間にはいるための入場券を販売しました。それが、かなりの臨時収入になりました。というのも、国内外の商人達が、貴族たちが優先的に入れる大広間への入場券をこぞって買ってくれたのです。大広間は、王子に会うために順番を待っている貴族が時間を持て余していることが予想されました。普段は貴族にはめったに会うことができませんから、商人たちは貴族に声をかけられるいい機会だと思ったのでしょう。

 おかげで当初の予想を大幅に越えた額が集まりました。うれしい誤算に宰相たちもニマニマ顔が隠せません。すると、お金の匂いに敏感なのはどの世界も同じ。あちこちの部署の人たち予算の見直しを求め始めました。一番強く言ってきたのは、星の動きで天候を予想する天文部でした。今の部長のオーギュスト公爵のやり方に反対する若手が声をあげたのです。


 あれこれ仕事のことを考えながら、王様がぼおっと王子の頬を触っていたためか、王子が目を覚ましてしまいました。困った顔をしてお后様の方をみると、仕方ないことと言う風に眉を下げています。


 王子は小さなモミジのような手を一生懸命伸ばしてきます。王様が伸ばした親指に王子の小さな手が絡みました。ふにゃふにゃでかわいい。思わず顔がにやけます。


「おや、王子の指は魔法使いと同じで、薬指のほうが長いな」


 王様はぽつりと独り言を言うと、王子の指が絡んでいない自分の手を眺めます。本当に小さな独り言だったのですが、偶然にもお后様の耳まで届きました。お后様が慌てて駆け寄って、王子を抱きかかえました。王子はきゃっきゃと笑います。


「王子の指に問題が?」

「あ? あ、いや……、たいしたことはない」


 王様は言葉を濁しました。それがいけなかったのです。お后様がわずかに震えています。王様は余計なことを言ってしまったと後悔しました。


「心配するな。王子の指は薬指の方が人差し指より長いと言っただけだ」

「え?」


 お后様が王子を抱いている自分の指をしげしげと見ます。お后様の指は人差し指の方が僅かに長くなっています。王子とは違う指です。自分と違うと思った途端、とても心配になってきました。

 お后様は、慌てて、侍女や護衛を呼びました。そして、みなに手を見せるよう指示を出しました。剣だこだらけの手、あかぎれて痛そうな手、包帯をしている手……様々です。みんな毎日一生懸命仕事をしているから手もどこか誇らし気です。

 しかし、……王子のように薬指が長いものはいませんでした。それでは、いくら指の長さは人それぞれだと言ってもお后様の心配は取り除けません。王様はしばらく腕を組み空中を睨んでいましたが、お后様のほうをみるとにっこりと笑いました。


「心配しなくていい」


 王様は護衛に耳打ちをしました。護衛は一礼をすると部屋を出て行きました。

 しばらくして、部屋に入ってきたのは、天文部部長を務めているオーギュスト公爵でした。真っ白な髪と、長くて白いあごひげ、真っ黒なマントはまるで魔法使いのようです。王様は小さな頃から、オーギュスト公爵のことを『魔法使い』と陰でこっそりと呼んでいました。だからお后様が聞いたとき言葉を濁したのです。ちょっとだけ恥ずかしかったのです。


 でも、お后様はどうしてオーギュスト公爵が呼ばれたのかさっぱりわかりません。隣では王様が肩をすくめるだけです。腕に抱かれている王子はにこにこして手をオーギュスト公爵に伸ばしています。


「お后様、私の指も王子様のように薬指が人差し指より長くなっております」


 オーギュスト公爵が手をお后様の方に伸ばします。お后様はじっとオーギュスト公爵の指を見ました。老人なのでしわしわの指でしたが、王様や護衛のように剣だこもありませんし、節くれだってもいません。中指のあたりにたこがありますが、細くて長い指です。


「……呪われているということは……」


 お后様は声を小さくして聞きました。呪と言う言葉を使うことをためらったからです。


「ほぉっほぉっ、そんなことはございませんよ」


 オーギュスト公爵が皺だらけの顔をさらにしわくちゃにして笑いました。王子もキャッキャッと笑います。


「……日常生活で困らない?」

「長い間生きておりますが、問題ありませんな。お后様は薬指をいつ使われますのじゃ?」

「紅をさすときよ」

「私は、薬を塗る時ですな。少し長いほうが使い勝手がよろしゅうございます」

「そういえばそうかもしれないわ」


「そういえば……学者の私がいうのはちょっと怒られそうですが……」とオーギュスト公爵はそこまで言うと、声を小さくしました。


「薬指の方が長いと算術が得意になるといわれておりますぞ」

「そうなの?」


 急にお后様の顔がぱあっと明るくなりました。王様は算術があまり得意でないことを思いだしたのです。お后様の隣に立っていた王様は苦笑いを浮かべました。それでも、お后様の悩みが解消されたので、オーギュスト公爵を連れてきてよかったと思いました。


「私も王子は算術が得意になると思っていたのです」






 オーギュスト公爵はその後、王子の教育係に任命されたそうです。


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